ご機嫌いかがですか。千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております、坂井孝宏と申します。
クリスチャンに独特の言葉遣いを天国人のボキャブラリー、なんて言って紹介してますが、きょうは「砕かれる」って言い方を紹介します。
「あの人は砕かれた人だ。」という感じで使われます。クリスチャンの成長の理想、というのは、立派な清く正しい人になるっていうことじゃなくて、砕かれた人になるってことじゃないかと思います。それはどういうことかといえば、自らの罪深さをよく知っている人、っていうことです。
大いなる、聖なる神様の前での、自分の小ささ、いやしさ、みじめさ、貧しさっていうことをよく知っている人。人生の本当にさまざまな経験の中で、罪深さっていうこと、あるいは人間そのものの、その罪の本質っていうことを思い知らされてしまった人ですね。
でも、だからこそ、そういう自分に、そういう自分に注がれている、神の愛に深く感動している人です。そして神から与えられている人生に感謝して、出会いに感謝し、小さな喜びを一つ一つ丁寧に拾いながら、毎日神を賛美して生きる人。そういう人のことを「砕かれた人」というように思います。
クリスチャンの歩みっていうのは、歩めば歩むほどに自分の罪深さを思い知らされていく歩みです。でもそういうふうにして砕かれた魂だからこそ、御言葉の命の水がしみとおっていきます。
詩編の34編19節をお読みします。
「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」