いかがお過ごしですか?川越教会の木村恭子です。今週は「お祈り」について考えています。
ずいぶん前のことですが、息子が鉄棒から落ちて頭を打ち、入院したことがありました。頭の骨にひびが入ったのです。私は病院に付き添い、一晩中祈っていました。
翌日、教会の方とお会いする約束があったので、延期していただくために連絡をしました。事情を話すとその方は「大丈夫? 私もお祈りしますね」と言ってくださいました。昨夜から不安の中、一人祈っていたのですが、その方の言葉を聞いて、私は肩の力がスーッと抜け、ホッと一息つけるような、そんな気持ちを味わいました。
教会の祈りには、隣人のために祈る「執り成しの祈り」があります。自分のためではなく、隣人の必要のために神に祈るのです。ですから、執り成しの祈りは神と私という縦の関係だけではなく、神と私と隣人という縦と横の関係での祈りといえるでしょう。
そこには、神に覚えられていると同時に、隣人にも支えられているという安心があります。祈りを通して持つことができる、人間同士の心のつながりです。これもまた、教会の祈り、キリスト教の祈りの特徴と言えるでしょう。
「主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」(ヤコブ5:16)