おはようございます。私は高知県南国市にあります、清和女子中高等学校聖書科の中山仰といいます。
あなたはみにくいアヒルの子ですか。それとも違いますか。このように尋ねられたら、どう答えていいか、一瞬考えませんか。答えにくい面白い質問なのは、私たちは皆自分はみにくくないと思っていますから。
有名なアンデルセンの童話の「みにくいアヒルの子」を知っていますよね。主人公のひな鳥は、自分たちと似ておらず羽が灰色でみにくすぎると、他のアヒルたちからいじめられていました。そして自分自身もみにくすぎると自信をなくしていました。しかし彼はアヒルではなく白鳥でした。白鳥の子でした。灰色の羽はやがて美しい白い羽に生え変わり、強い羽で大空に舞い上がることができたのでした。
彼は「みにくいアヒルの子」から白鳥に変わったのではありません。卵の時から一度たりとも白鳥でなかった時はありませんでした。白い羽を持って、大空を舞う可能性はずっと持っていたのでした。しかし周りのアヒルたちから「お前はみにくい。」「みにくいアヒルの子だ。」「出来損ないだ。」と言われ続けていました。自分の本当の姿、本来の姿を知らなかったからでなくてなんでしょうか。
もしも他の白鳥に出会わず、水面に映る自分の姿を見ることがなければ、自分はみにくいアヒルだと思い続け、一度も大空に舞い上がることなく一生を終えることだってあったかもしれません。
さて、もう一度お聞きします。あなたはみにくいアヒルの子ですか。もう自信を持って言えますね。「いいえ」と。自分は普通の白鳥の子だと。
この話は多くのことを教えてくれます。もしかしたら小さい時から家族や友達、学校や社会との触れ合いの中で、自分に対して間違ったイメージを持ち続けているかもしれません。自分を客観的に見ること、それができにくい場合には、周りのいろいろな人に聞いてみることでしょう。カウンセラーという職業は、そのような時にとても助けになります。
ではしつこいようですが、もう一度形を変えてお聞きします。あなたは神の子ですか。それとも悪魔の子、すなわち神に敵対する子ですか。神の子であると堂々と言い切れなくても、まさか悪魔の子であると認めたくありませんよね。聖書ではあなたがまだ神を見出さなくても、あなたは神の子なのだと宣言されています。積極的な意味で私は神の子と言い切れなくても、聖書の神はあなたを造ったと言われます。
神の子でありたいけれど自信がないのは、こんな悪いことをしていたり、人のことを妬んだり裏切ったりしている自分を見ると、自信を持って「私は神の子です。」などと言い切れません。それはちょうど、自分はみにくいアヒルの子、と思い続けているからです。「心のみにくい」「出来損ない」の子であると思い続けているなら、みにくいアヒルの子と同じではないでしょうか。
どうしたら、神の子であると分かるかと言いますと、神のことを聞く以外にありえません。仲間の白鳥を見るか。つまり、かつては同じように自分は神の子なんかではないと思っていた人たちが生き生きと光の子として歩んでいる姿を見て、どうしてだろう、どうしてああなれるのだろうかという目を向けてみてください。
あなたを造られた方が神ということが分かったら、あなたは神の子以外にありません。神から離れている人生であっても、父なる神の方から手を差し伸べていてくださるからです。誰が何と言おうと、「わたしの目にあなたは値高く、尊く、わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と言ってくださっています。今日この言葉を耳にした皆さん、神の子としての歩みを始めてみませんか。