ご機嫌いかがですか。千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております、坂井孝宏と申します。
私の家では時々子どもたちにお願いをして、家族のためのお祈りをしてもらいますけれども、子どもたちのお祈りの言葉を聞いていますと、「導いてください。」という言葉が目立つのに気づきました。それもかわいらしいことに、例えば「愛することを導いてください。」なんていう、日本語としてはちょっとチグハグになっちゃう、そういうこともあるんですけれども、でも本当にそうやって神様とおはなしする時の決まり文句のようにして「導いてください。」って祈ってるんですね。それはきっと、私や妻がそんなふうに祈っているのを真似してるんだと思います。
旧約聖書の詩編の23編、大変有名な慰め深い詩編ですが、こういうふうに歌われています。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを…憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたが、わたしと共にいてくださる。」
主なる神様はわたしを、正しい道に導かれると言われています。死の陰の谷を行くような、どこにも光が見えないような苦しみの日々を過ごす時も、神は必ず私と共にいて、肩を組んでくださって、正しい道に導いてくださる。私たちはそう信じます。だからいつも、すべてを主にゆだねて、「主よ、私たちを導いてください。」って祈るんです。