ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井良一です。
イエスさまは聖書の中で私たちに「空の鳥」から、また「野に咲く花」から人生を学びなさいと教えています。空の鳥も野に咲く花も無力で弱い存在でしかありません。しかし、空の鳥は大空を自由に飛び交うことができます。野に咲く花はそのありのままの姿で美しさを表しています。
それでは、空の鳥や野に咲く花と私たち人間の違いはどこにあるのでしょうか。皆、神さまが造られたすばらしい作品であることに違いはありません。しかし、人間は自分を造ってくださった神さまの存在を忘れてしまい、いつのまにか自分が神さまであるかのように勘違いしてしまっているのです。
その結果、人間は神さまにしかできないことを、自分でしようと考えます。もちろん、人間にはそんなことはできません。ですから、私たち人間は「思い悩み」に支配されて毎日を送らなければならないのです。一方「空の鳥」や「野に咲く花」は神さまに造られたありのままの自分を受け入れたことで、与えられた命の価値を表しているのです。
私たちは自分が神さまであるかのように勘違いして、せっかくの命を「思い悩む」ことで使い果たしてはいないでしょうか。私たちは今こそ、「空の鳥」から、「野に咲く花」から神さまに造られた命の素晴らしさを学ぶべきではないでしょうか。
イエスの言葉
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値があるものではないか。」
マタイによる福音書6章26節