いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
人が生きておりますと、様々にぶつかり合いが生まれることがあります。そして、その一つ一つに、具体的な原因があるはずですが、しかし、そのような理由を辿ってみましても、あまり解決にならないことがあります。
それよりも、この忙しい現実の中で、まずは問題点を指摘し、注意をして、言い聞かせ、なぜもっときちんとしないのか、と指導したくなってしまうのが、当たり前の態度かもしれません。そしてまた、実際に、そのようにして、指導したり、あるいは、本当に犯罪的なことであれば、はっきりと止めるように指摘することも必要なことです。
ただ、その場合には目の前にいる相手を尊重して、まず話をよく聞き、相手の立場になって考えてみる、というような、本来そうあるべきことがついついおろそかになりがちです。
しかし、そのようなすべての関係、具体的な関係において、忘れてはいけないことがあると、パウロという人は言いました。それは、「愛には偽りがない」という事実です。この場合の「愛」とは、まずは神様から人間に与えられる愛を指しますが、それを受け取った人にも、その偽りのない愛の中にあると、パウロは言いたいのです。
あなたがいま受け取っている愛には偽りがない、そのような愛がもう来ている、というのです。
私たちを苛立たせるものも、不安にさせるものも全くない、そのような愛をあなたは今すでに受けているというのです。