ご機嫌いかがですか。宇都宮教会代理牧師の豊川修司です。
聖書には「命」という言葉が沢山出てきます。この言葉は、もともとは活気あふれる状況やいきいきしている姿を表しています。また、体力だけでなく健康や生命と結びついて心の状態を示します。幼い子供が事故に遭って「命」を落とした時に、学校は「命の尊さ」を大切にしましょう、と繰返し語る言葉を耳にします。
一方、ヨハネによる福音書11章25節には「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる」とあります。主イエスは御自身を復活であり、命であると語ります。父なる神は、主イエスが十字架で死んで、墓に葬られてから3日後に、主イエスを死人の中から甦らせました。復活は、「死」というサタンの支配に勝利した主イエスの姿であり、人間の初穂として私たちも同じように復活することの証拠です。
さらに主イエスは復活に続いて「わたしは命である」と語ります。命は人を生かしている原動力や生命力です。同時に、主イエスに結び付けられている霊的な生命力、です。復活と命は、罪に死んでいたわたしたちに新たに生きる力を与えてくれます。復活と命は主イエスを通して神から与えられた豊かな恵みなのです。
今日も主と共に生きる日でありますようにお祈りいたします。