熊田なみ子のほほえみトーク 2015年9月22日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

小さな朗読会193「エリシャの最後の預言」「ごう慢な王の敗北」
(「母と子聖書旧約下」89-90章)

 ヨアシは暗殺されたとき、わずか47才でしたが、40年間治めました。この間に、イスラエルでは三人の王がたちました。三人ともエヒウの家系のものでした。それは、エヒウが悪いアハブの家をみな滅ぼしたので、エヒウの息子を四代にわたってイスラエルの王とする、という神さまの約束にもとづいていました。

 ヨアシが、ユダの王位につく7年前から、エヒウは王でした。そして、それからまた21年間治めて死にました。彼はバアルの偶像やバアルの祭司をみな滅ぼしましたが、べテルとダンにある金の子牛は捨てませんでした。人々はまだこの子牛を、神さまとして拝みました。
 エヒウのあと、息子のエホアハズが王になりました。彼も十戒で神さまがイスラエル人に禁じておられるのに、金の子牛を拝みました。イスラエル人が金の子牛を礼拝する罰として、神さまは、スリヤ人の残酷な王ハザエルの侵略をゆるされました。しかし、イスラエル人が神さまに顔を向けたとき、神さまは祈りを聞きいれ、スリヤ人を自分の国に帰るようにされました。もっとも、このとき、エホアハズには、騎兵50人、車10台、そして兵隊1万人しか残されませんでした。

 エホアハズは17年しか治めませんでした。そして死んだあと、その息子のヨアシが王になりました。彼もその父のように金の子牛を礼拝しましたが、アハブ王のような悪い王ではありませんでした。
 ヨアシのときに、それまで長年イスラエル王国に住んでいた親切な老預言者エリシャが、非常に重い病気にかかりました。王は、まもなく自分の友である預言者がいなくなると聞いて、大そう悲しみました。エリシャは王国の統治を手伝ってくれました。いろいろと忠告もしてくれました。エリシャがいなくなったら、だれが、国を治めたり戦ったりする王を助けてくれるのでしょうか。だれが主に祈ってくれるのでしょうか。
 こういった悲しい思いを持ってヨアシは、寝台に青ざめて弱々しく横たわるエリシャを、見舞いました。王は、大つぶの涙でほほをぬらしながら、「わが父よ、わが父よ」と泣きじゃくりました。

 弱っているエリシャは、か細い声で、王に、「弓と矢を取りなさい」といいました。
 王は隣の部屋にゆき、弓と矢をさがしてきました。エリシャのもとに、それをもってもどってきました。預言者は、弱々しく「弓に手をかけなさい」といいました。
 王は、その強い、若い腕で、思いきり弓をひきました。重体のエリシャは、非常な努力をはらっておきあがり、やせた白い手を王の日に焼けた強い手の上におき、「窓を明けなさい」といい、窓が明けられると「射なさい」と命じました。
 王は矢を一本放ちました。エリシャは、「主の救いの矢、スリヤに対する救いの矢。あなたはスリヤ人を撃ち破り、彼らを滅ぼしつくすであろう」といいました。
 それから、「矢をとって地を射なさい」といいました。王は矢を三度地に射ました。エリシャは「あなたは五度も六度も射るべきであった。そうすれば、あなたはスリヤを撃ち破って滅ぼしつくすことができたであろう。しかし、今、あなたはそうしなかったので、スリヤを破ることはただ三度だけであろう。」といいました。
 預言者は疲れ果てて、寝台に倒れました。そしてまもなく、エリシャは、死んで葬られました。
 エリシャの死後、まもなく、もうひとりの人が死にました。友人たちが、その人を葬っているとき、向こうのほうから、泥棒の一群が近づいてくるのが見えました、友人たちは、恐れていそいで逃げようとして、友の死がいを、目についた最初の墓にほうりこみました。これがたまたまエリシャの墓でした。死人がエリシャの骨にふれると生きかえり、立ちあがりました。

 スリヤ人に対するヨアシの勝利についてのエリシャの預言は、成就しました。自分の主人を暗殺した、あの残酷なスリヤ王ハザエルは死に、やはりベネハダデ、という息子が王になりました。ハザエルが、自分の暗殺した王の名前を子につけたというのも、ふしぎです。ヨアシは三度このベネハダデ二世を打ち負かしました。そして、ハザエルがイスラエルから取りあげた町々を、取り返しました。

 エヒウ、エホアハズ、ヨアシがイスラエルで治めているあいだ、少年王ヨアシが、ユダを治めていました。前にも話したように、彼は47才のとき、家来に暗殺されてしまいました。
 彼の息子アマジヤは、イスラエルのヨアシ王のとき、ユダの王となりました。アマジヤは父ヨアシのように、初めのうちは良い王でしたが、やはり父のように、あとで間違ったことをしました。
 アマジヤは、王国を守るため、強い軍隊をつくりあげようとしました。彼は戦争にいける頑丈な男子を全部かぞえました。30万人いました。彼はまた銀百タラントで、イスラエルの勇敢な兵を10万人やといました。これだけの軍隊があれば、どこの異教国と戦っても勝てる、と思いました。
 神の預言者がひとりきて、「王よ、イスラエルの軍勢をあなたと共にいかせてはいけません。主はイスラエル人と共におられないからです。彼らが金の子牛を礼拝するので、神は彼らを怒っておられます」と忠告しました。
しかし、アマジヤは、「わたしはすでに彼らに銀百タラントをはらってしまいました。彼らを帰せば、お金はむだになります」と、反対しました。
 「主は、それよりも多いものをあなたにお与えになることができます」と預言者はこたえました。
 アマジヤは預言者のいうことを聞いて。イスラエルの兵を帰しました。普通なら、これらの兵隊たちは満足しただろうと考えますが、彼らは、戦いもしないで帰されたことを怒り、ユダのいくつかの町にいって3千人の人を殺しました。
 これらのイスラエル人を帰しても、アマジヤには、自分の兵の大軍が残っていました。かれはその30万の兵をひきいて、エドム人の住む死海の南の塩の谷にいき、エドム人と戦って勝ちました。
 エドムで、偶像がアマジヤ王の目にとまりました。彼は、それをもって帰り、自分の家におきました。意味のない偶像礼拝など、ばからしくてわたしだったらしない、とみなさんはいうかもしれません。けれども、来年のことなど本当にわかる占師などいないのに、占師のところにいって、うらなってもらう今日の馬鹿げた人々と、アマジヤ王は、そう変わらないのです。
 アマジヤがエドムの偶像を拝むのを、神さまは怒られました。そして、「エドムの神々は、自分の民さえあなたの手から救うことができなかったのに、あなたはどうしてそれを求めたのか」という警告を、ひとりの預言者をとおしてアマジヤに伝えられました。
 しかし、アマジヤは自分の勝利をたいそう誇り、もっと勝ちたいと思いました。彼は、イスラエル王ヨアシに、挑戦しました。
 ヨアシ王は、スリヤ人と戦ってきたところでした。彼はいくつかの大勝利をはくし、父のときにスリヤ王に奪われたいくつかの町を、取りかえしてきました。ヨアシは、これ以上、戦って、自分の兵を死なせたくありませんでした。そこで、彼はアマジヤ王に、「あなたはわずかなエドム人を撃ち破って誇っているが、あなたよりも多くの兵をもっているわたしと戦うのは、おろかである。あなたは破られ、あなたの民は多く殺されるであろう」とアマジヤ王に警告しました。
 しかし、アマジヤは聞きません。神さまは、アマジヤが偶像を礼拝するので、その罰として彼がまけるのを許されたのでした。
 二つの軍隊が出合いました。アマジヤ王はひどい敗北を味わいました。もっと悪いことに、ヨアシはエルサレムまで攻めて、町の高い城壁を大きくこわしました。それから神殿にいき、目についた金や銀をみなもっていきました。彼はまた、王の宮殿からも財宝を奪いました。

 この戦いのあと、まもなく、イスラエル王ヨアシは死にました。その子ヤラベアムが王となりました。アマジヤは、まだ15年生きながらえました。それは、民が彼を怒っていたので、幸福な年ではありませんでした。民は、自分たちの町と宮がおかされ、大ぜいの人が死んだのは王のせいであると考えたのです。
 ユダの民衆は、王というものはおろかで不必要な戦争を起こし、自分たちを神さまから偶像に向けさせるから、もう王さまなどはいらないと考えるようになりました。そして、王をこらしめることを話し合うようになりました。
 このうわさが王の耳にはいりました。この計画が実行にうつされるまえに逃げたほうがよいと思い、アマジヤはペリシテの国のラケシまで逃げました。しかし、何人かの兵が彼のあとを追い、彼をラケシで殺し、その死体をエルサレムにもち帰りました。
 アマジヤも、父ヨアシのように、神をおそれて民を治めはしたものの、あとで偶像礼拝に走りました。そして、父と同じように、自分の民に殺されました。こういう悲しい経験にもかかわらず、民はアマジヤの息子ウジヤを次の王にしました。彼はそのとき、まだ16歳でした。

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