いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。今日も聖書の教えに共に耳を傾けましょう。
ヨハネによる福音書は、次のとても不思議な文章で始められます。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。
「言」は、神と共にあり、神そのものでもあります。
1章14節には、次のように記されています。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。
はじめから神と共にあり、神そのものである「言」は、肉体をとられて、わたしたちの生きているこの世界に、一人の男の子として誕生してくださいました。肉となった「言」とは、他でもないイエスさまのことです。イエスさまは、私たちに、父である神の独り子としての栄光を鮮やかに示してくださいました。
1章18節には、次のように記されています。
「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」。
私たちは、直接、神さまを見ることはできません。私たちは、父である神の独り子、イエスさまを通して、神さまを知ることができます。ですから、私たちは、イエスさまを知らなければ、本当の神さまと出会うことはできません。
父である神の独り子、イエスさまは、私たちが本当の神さまと出会うために、私たちのところまで来てくださいました。