いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
あなたはこの日、どんなお気持ちの中でお過ごしでしょう。気持ちの良い春風を感じている方もおられるでしょう。まだまだ、寒い時期を過ごしておられる方もおられるかもしれません。そんなあなたに、主なる神は語りかけてくださっています。
詩編51編という聖書の個所です。聖書全体の中でもとても有名な個所です。はじめの部分を少し紹介します。
「神よ、わたしを憐れんでください、御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。」
私たち人間が知っておくべき、大事な二つのことがあります。
一つは、私たちが何者か、ということです。私たちは何者か。それは、憐れな存在だ、ということです。なんで憐れなのか。お金がないからでしょうか。仕事がうまくいかないからでしょうか。健康に恵まれないからでしょうか。人間関係がうまくいかないからでしょうか。そうしたことの根っこにある「罪」のゆえに、私たちは憐れな存在となっています。「罪」のゆえに、諸々の嫌なことが私たちを取り囲むようになりました。
私たちは、この「罪」のゆえに、憐れな存在になっていること。これが第一に知っておくべきことです。
第二に知っておくべきことは、神様は、「この憐れな、罪深い私たちを、限りなく、憐れんでくださる」ということです。私たちがどんなに罪深くても、神様の憐れみは、はるかに大きいということです。
どうか、神様に向かって、「憐れみ深い神様」と呼びかけて、罪の赦しを祈ってみてください。主は限りなく憐れみ深い御方です。