いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
わたしの背中には翼がありません。しかし、それでも今まで一度も不便を感じたことがありません。急いで遠くへいきたいときには飛行機に乗れば済むことです。高いビルに用事があって訪ねるときも、階段やエレベーターを使えば何不自由なく目的を遂げることができます。誰ひとりとしてわたしのことを障碍者と呼ぶ人はいません。しかし、もしわたしに足がなかったら、どうでしょう。とても不便を感じるはずです。そして、周りの人もわたしのことを特別な人と思うに違いありません。
いったいこの違いは何なのでしょう。もし、人間に最初から足がなければ、足がなくても何不自由なく暮らせる社会を実現できたはずです。そう考えると、人間社会の在り方ひとつで、人は何一つ不自由を感じないで生きることもでき、人間社会の在り方ひとつで、とてつもない不便を強いられることにもなるのです。言い換えれば、障碍者を生み出しているのは、社会の在り方そのものと言うことができます。
翼のない人間が障碍者と呼ばれない社会を作ることができたのですから、手や足や視力や聴力がなくても、誰一人として障碍者と呼ばれない社会を実現することは、技術的には可能です。いったいわたしたちには何が足りないのでしょうか。
今日の言葉…「いかに幸いなことでしょう 弱いものに思いやりのある人は。」詩編41編2節