キリストへの時間 2014年8月3日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

黒田朔(清和学園校長)

黒田朔(清和学園校長)

メッセージ: 本当はどうなりたいの?

 みなさんお元気ですか。わたしは高知県下でただ一つのミッションスクール清和女子中高等学校で校長として働いています黒田 朔です。毎朝チャペルで「高校生の時に聖書の神様信じてごらん。70越えても、うれしい人生生きることが出来ますよ。」というふうに話します。
 そこで、今日から4回にわたって、みなさんにも70歳超えて楽しめる人生、そのことについて話したいと思います。今朝の題は「本当はどうなりたいの」という題です。

 清和学園では、朝、先生達が総出で、登校する生徒に「おはよう」と声をかけます。結構、楽しいものです。でも、中には誰とも目をあわすことなく、黙って学校の階段を上がって行く生徒もいます。生徒だけじゃありません。わたし達だってそうです。「誰とも話したくない、口を利く気もしない。」というような気分の時があるものです。口を開いたら愚痴が出るか、文句が出るか、だから黙っている…そんな時ってありますよね。
 でも、大丈夫です。最近、そんな時わたし達の気持ちの方向転換を助けてくれるKeyWord、こんなことばを教えてもらいました。「本当はどうなりたいの?」

 わたし達はある状況の中で、悔しい、悲しい、腹が立つ…などとその時の感情に振り回されてしまうことってありますよね。そんな時でも、一言「本当はどうなりたいの?」と自分自身に尋ねてみることです。「本当はどうなりたいの?」
 この問いかけは見失いかけていた目指す方向を思い出させ、崩れかけていた姿勢を建て直し、自分を取り戻させてくれるものです。言い換えますと、わたし達はしばしば、その時の感情の波に揺り動かされて、本当に大切にしているものを見失ったり、取り逃がしたり、時には、こいつは危ない…と気づきながら、ぶち壊してしまう、そんなことがあるからです。

 三浦綾子さんがその本の「愛すること、信じること」の中で書いておられたことを思い出します。「夫婦は戦いだと言い、亭主が関白になったり、かかあが天下をとったりする。しかし、夫の良いところを見つけては『うーん、かなわないなあ、あなたには』とか『まあ、なんてすばらしいことを言ってくださるの。あなたってえらいわね』と言いながら暮らしてみたらどうだろう。実に楽しいものである。それを『ふん、何よ。口ばっかりえらそうなことを言って』とか、『へぇ、珍しいこともあるわね。天気が変わらないかしら』なんとか言って相手をへこまして、どうなると言うんだろう…」本当にそうですよね。

 そこで「本当はどうなりたいの?」と胸に手をあてて尋ねてみるんです。
 三浦さんは「夫の前に手をついて、あやまることがきらいじゃない。『ああ、やっぱり三浦はえらいなあ、どうして、この人はこんなに偉いんだろうなあ』なんて思うことは女房としてずいぶん幸せなことではないだろうか。」と書いていらっしゃる。つまり、夫婦として本当に求めているのは、相手の弱みを握り、優位に立つことでも、相手をへこまして、天下をとることでもなかったはずです。夫婦としてお互いを喜び、自分が選んだ相手を、自慢の夫、自慢の妻・女房として喜び、楽しむはずではなかったか。「本当はどうなりたいの?」その出発点に立ってみようというんですね。
 これは夫婦の問題だけではなく、仕事でも、対人関係でも、自分として抱えた問題、老後の生き方などどのような課題でも、「本当はどうなりたいの?」と尋ねてみてはどうでしょう。色々な目の前のゴタゴタが取り去られて、目指すべき解決を見つける助けとなるに違いありません。聖書にこのような言葉があります。
 「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」旧約聖書箴言3章5節6節です。(新改訳聖書)
 それじゃあ、また来週、「キリストへの時間」にお会いしましょう。ごきげんよう、さようなら。

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