キリストへの時間 2014年5月18日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

門脇昭(山田教会長老)

門脇昭(山田教会長老)

メッセージ: 神から送られた助け人

 おはようございます。山田教会の門脇昭であります。今日は、「神から送られた助け人」という題でお話を申し上げたいと思います。

 わたしは家族を含めて、多くの助け人に恵まれて感謝をしております。その最初に送られた助け人は、実は母親であったなと最近になって気がつきました。
 わたしはいま85歳になりました。その半分近い約40年の間かかわりを持った、清和学園に働くことになった動機をもたらしたのもこの母親でした。
 私の19歳の頃、日本は敗戦により大きく変動していました。わたしにも大きな変化がおきました。母は女学生の時に友人に誘われて教会にいき、そこで洗礼を受け、クリスチャンになり、成人して縁あって官吏であった父、今でいえば国家公務員であった父と結婚し小役人をしながら質素な生活をして、小銭を貯金をして郷里に田畑を買い小さな地主となり、定年後ある程度余裕のある生活をしようとしていました。わたしはその頃は小学生でした。

 やがて太平洋戦争が起こり、敗戦となり、戦後の農地改革によりいくらかの土地を失うことになりました。父は定年退職後郷里に帰って父なりにみんなのお世話をし、郷里のために力を尽くしました。それにもかかわらず田畑をいくらか失うことになった。父はそのことでショックを受け病床の身となりました。同じ苦労をした母は信仰の人でした。その時母の言葉は聖書の言葉でした。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と述べて毅然としていた。わたしはその態度を見て、深い感動をうけた。田畑が少なくなっても、この母の信仰を受け継ごう、母のような信仰を持った女性を育てようと決心しました。

 その後、私は学生の身分で洗礼をうけた日本基督教団松山教会の関係の女子高校にクラブ活動のお手伝いにいくなどして、その学校に就職が内定していましたが、父の病状が悪くなり母からの手紙で郷里に帰って来るようにと言われました。その女子高校に勤める道は閉ざされてしまいました。
 ところが郷里の町に基督教会ができ、母もそこで出席をしておりました。そしてわたしもその教会に出て礼拝を守ることになり、神様の不思議な働きにより山田教会に転会し、橋本亘先生が深く関係していました米国南長老教会の宣教師ダウド先生の女学会、清和女学校を再興して清和女子高校を作ることになりました。専任教員5人、生徒30名の小さい学校の教員に私はなりました。そしてわたしの願い、祈りが聞かれ道が開かれました。

 それ以来教諭5年、教頭15年、校長8年、専務理事5年、理事7年、計40年をそこに勤めることになり、100周年を機会に直接関係がなく、辞めることになりました。しかし、大切な学校として日々の祈りのなかに感謝をしつつ、神の栄光をあらわす経営ができるようにと日々祈っております。その学校に働く動機を与えてくれた母も、その道を開いてくれた橋本亘先生も、わたしが清和在職中に天に召されました。しかし、多くの卒業生は信仰を持って社会で働いており、神の栄光を現している姿を見ることはとても嬉しいことであります。そして清和学園が今も多くの神から送られた助け人により支えられていることを感謝し、高知県にただひとつあるこのミッションスクールが、喜ばれる学園になってほしいと願っております。

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