ご機嫌いかがですか、勝田台教会の坂井です。
今週は皆さんを、まことの悔い改めへとお招きしたいと願って語っています。「悔い改め」への招きこそ、聖書のメッセージの中心と言っていいだろうと私は思います。今から読みます、この有名な御言葉も、実は、根源的な悔い改めへの招きです。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイ11:28-29)」
本当に疲れてしまった心に染み入ってくるような、慰め深い言葉です。でもこの御言葉は、わたしのもとで、神を見つめ直しなさいという、根源的な悔い改めへの招きの言葉だと私は思います。今確かに多くの人々が、本当にぼろ雑巾のようにくたびれてしまって、生きることに疲れておられます。でも、その疲れはどこから来るのでしょうか。それは、最も深い霊的な次元において、神との関係がこわれてしまっていることからくるのだと、イエス様は教えてくれます。あなたは神を見失っている。そして自分も見失っている。だから、疲れてしまっている…。わたしのもとで、わたしに学んで、神を見つめなおしなさい。自分を見つめ直しなさい。そして、神と共に生きる人間の真の安らぎを知りなさいと、イエス様は招いておられます。