ご機嫌いかがですか、勝田台教会の坂井です。
最近わたしはよく思うんですけれども、善い医者というのは、自分がまだ気付いていない病気にも気付かせてくれて、その病気に立ち向かうようにと促してくれるお医者さんではないでしょうか。
心の病にしても、体の病にしても、とかくわたしたちは、病気とちゃんと向き合うことから逃げる傾向にあるように思います。イエス様は聖書の中で、ご自分のことを医者に例えて、こういう風におっしゃいました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:12-13)こういう言葉を残しておられます。
イエス様という方は、お医者さんなんですね。罪という根源的病に侵されたその魂を、赦し、癒してくださる「医者」です。でも、わたしたちの方は、自分がこの方に癒していただくべき病人であるとの正確な自覚を持てないのです。人間の罪というのは、その自分の罪が自分の病気が分からないということにこそあると、わたしは思っています。イエス様は、「あなたは罪深い。認めなさい。そして、罪と戦いなさい。」と、病気に向き合わせようとする厳しい医者です。でも同時にイエス様は、この罪人を全面的に引き受けてくださって、最後まで背負いとおしてくださる頼もしい医者です。「あなたの罪は、わたしが引き受ける。だから、わたしのもとに来なさい」と、今日も招いていてくださいます。