蒸し暑い日が続くようになってまいりました。お元気にお過ごしですか。私は今週一週間、この番組を担当させていただきます、茨城県つくば市の筑波みことば教会牧師、小堀昇と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
「いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。」詩編の32編で聖書はこのように語ります。(詩編32:1-2)
この御言葉は、古くからアウグスティヌスやマルティン・ルターが愛唱した詩編であると言われています。特に、アウグスティヌスは、しばしばこの詩編を読んでは涙し、死の床に臥すようになったときには、向かいの壁にこの詩編を貼って、病の中の慰めを得たと言われています。また、ルターはこの詩編32編をして、51編や130編、143編と共に、律法によらず、行為によらず信じる者に、ただ信じるだけで赦しを与えるので、これをパウロ的詩編、即ち信仰義認の詩編、信じるだけで救われる詩編と呼びました。
信仰の本質はなんでしょうか。それは、ただ信じるだけで救われるということです。ただイエス・キリストを信じるだけで、罪を許され、永遠の命が与えられ、更には神の子どもとされるということです。この御言葉の背後には、ダビデが犯した一つの罪がありました。自分の部下の奥さんであったバトシェバと、姦淫の罪を犯しました。しかし、彼はそれを主の憐れみによって、赦していただいたのです。
イエス・キリストを信じるならば、あなたのどんな罪も主は赦してくださいます。信仰の本質、それはただ一つです。信じるだけなのです。あなたもどうかイエス様を信じて、永遠の命の恵みを得てください。それではまた、御機嫌よう。