お元気にお過ごしですか。筑波みことば教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
昔中国のある村に、大層暴れん坊の大男がおりました。村の長老がその男を何とかしたいと思って、その男を呼び出して言いました。「実はこの村には、大変厄介なものが三つある。お前はそれを片付けることができるか」。男は、「俺にやっつけることのできないものなど何もない。言ってみろ」。「実はな、一つ目は裏山にでる大蛇だ。お前にそれがやっつけられるか」、男は「任せておけ」。このように言って、裏山に行き、この大蛇と格闘してこれを見事にやっつけました。男は意気揚々と帰って来て言いました。「長老、やっつけたぞ。次は何だ」「次は裏山に出る大きな虎だ」。男は裏山に行って、この大きな虎と格闘して、見事にこれを打ち負かして帰って来ました。男はまた意気揚々と引き上げて来て言いました。「長老、やっつけたぞ。どうだ、三つ目は何だ」。そうしたら長老は言ったそうです。「三つ目か、実はなあ、それはおまえ自身なんじゃ」。これを聞いた時に男は、「俺自身か、うーん」と唸って言葉が出なかったそうです。
「獅子身中の虫」と言いますけれども、わたしたちにとって本当に問題なのは、自分自身なのです。ですからパウロはこう言いました。
「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、…そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」(ローマ7:15-17)。
あのパウロですらも、自分の罪をコントロールできないと言いました。しかしあなたがイエスを信じる時に、あなたの罪は赦され永遠の命が与えられる、あなたの罪はコントロールされるのです。どうぞあなたもイエスを信じて生きてください。