おはようございます。盛岡教会の久保田証一です。
今日の一日、皆さんの上に主の導きがあることをお祈りします。ところで、その導きですが、聖書に登場するおもな人々はみな主の導きをいただいて生きていたと言えます。
わたしたちが映画やドラマを見たり、小説を読んだりする時、初めに結末が分かってしまったらつまらないですね。わたしたちの人生でも、自分が何歳で何をして、どんな健康状態で、家族はどうなっているか、寿命が何年かなど、予め全部わかっていたらつまらないし、恐ろしいとも言えるでしょう。しかし、結末だけは良いものであってほしいですね。
小説や映画は必ずしもハッピーエンドとは限りません。では、神様がわたしたちを導いてくださる場合はどうでしょうか。神様は、手を引いてわたしたちの人生を導いてくださいます。そして、神様が導いてくださって行き着くゴールは、神様の御国であり、永遠の命という祝福です。だから、神様の導きを信じるなら、たとえ険しい道や困難な道が途中にあったとしても神様にゆだねて一歩一歩進むことができるのです。
詩編の御言葉を紹介しましょう。「神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。」59編11節の御言葉です。神の御子である救い主キリストは、わたしたちの羊飼いであり、導き手です。信じて従ってゆく者を必ず素晴しいゴールへ連れていってくださいます。その導きにゆだねれば大丈夫です。