おはようございます。芸陽教会の佐藤 正でございます。
わたしはクリスチャンホームに育ちまして、幼いときより父母、祖父母と共に礼拝に集うことができておりました。その後、小学校、中学校と信仰生活を重ねていったのです。なんとなく漠然とした状態で教会に出席をしていました。
高校生になった或る日のこと、牧師先生の説教を聞いているとき、自分自身がこの今までの人生の中で、キリストの教えに背を向ける生活をしていた。キリストという光に対し、背を向けて歩んでいた。これからはキリストという光に向かって歩み始めねばということに思いを向けられ、何か、ハンマーのようなもので頭をガーンと打たれた感じがしました。その時の経験は忘れることが出来ません。このようにして、わたしは光の方に一歩、歩き始めることが出来るようになりました。
さて聖書の御言葉に、わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても神によって建物が備えられているという箇所がございます。
少し話が飛びますが、わたしは以前に愛知博の会場のサウジアラビア館に行ったことがあります。そこへ入ったところで、パッと目にしたのが幕屋でした。幕屋とはべつの言い方をしますと天幕、さらにテントと言ってもよいでしょう。中近東などの遊牧民の方たちの住まいのことですが、わたしは早速ガイドさんにそのテントの天井を指して、材料は何で作っておられますかと聞きますと、ラクダの毛で作っています、と答えが返ってきました。展示用ということもあったかもしれませんが、きれいな素晴らしいテントでした。
お話を元へもどさせていただきますと、このテント生活、幕屋生活のことを聖書では譬えで、地上の住みかと言っております。この地上の住みかである人生そのものと言って良い。幕屋は年令と共にだんだん傷が付き、破け、衰えていきます。わたしたちの人生の終わりに向けて、肉体も精神も衰えて行くことを指しております。
しかしながら、キリストという光に歩くならば神によって備えられている天上の幕屋、朽ちることの無い、素晴らしい天国という幕屋が、人生が終わった後、わたしたちのために備えられているということが教えられています。
さらに聖書には、キリストご自身が良き羊飼いであって、人間である羊を守るということが譬えで教えられています。現在でも中近東などのテントは二つに区切られていて、一つは羊飼いの部屋、もう一つは羊の部屋です。まさに、背中合わせで牧者であるキリストと、羊である人間がしっかりと交わっているかの如くの感じを受けます。
どうかこの人生という旅路が良き羊飼いであるキリストに導かれ、天国に繋がる旅路となりますよう、多くの方々にいつの日か、知っていただければと思っております。