いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
マタイによる福音26章14節以下に、イエス様の弟子の一人であるユダが祭司長たちの所に行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と交渉する場面が描かれています。
なぜ12使徒の一人であったユダがイエス様を裏切ったかについて、聖書は十分な説明をしていません。しかし、はっきりしていることは、お金と引き替えにあの男を渡すと申し出たこと、つまり金銭を求めたということです。
1テモテ6章10節には次のように警告されています。「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます」。ユダは金銭を求めて破滅したのです。
ヘブライ人への手紙13章5節には次のように教えられています。「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、『わたしは、決してあなたから離れず、決して置き去りにはしない』」。
金銭に執着しない生き方は、「言うは安し、行うは難し」です。しかし、神が決して離れることはなく、常に共にいて下さるとの約束が本当ならどうでしょうか。一切のよきことは神から来ます。この神が共にいて下さるなら、金銭が与える以上の満足が与えられるはずです。
それゆえ神こそ、金銭でははかれないまことの宝です。このまことの宝の価値を正しく理解するなら、金銭に執着しない生き方をしたくなるはずです。神のみ子を裏切ったユダの行為は、金銭を求めたことに原因があります。どうか神を求めて下さい。