いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
「知識と愛」という言葉は、一見相いれないように感じるかもしれません。知識は頭脳に関係すること、愛は心に関係すること、と分けて考えてしまいがちだからです。知識に傾けば自然と愛に乏しい頭でっかちな人間になり、愛に傾けば知識に対する欲求が乏しくなる、と思い込みがちです。しかし、聖書の世界では、知識と愛とは必ずしも相いれないものではありません。それどころか、愛のない知識も、知識のない愛も考えられないんです。
初代教会の指導者パウロは、フィリピの教会にあてた手紙の中でこう祈っています。
「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」
この祈りの言葉の中心は「愛がますます豊かになりますように」というものです。しかし、その愛は単独で豊かになるものではありません。知る力と見抜く力とを身につけて豊かになることが期待されているのです。パウロは知る力のない愛も、見抜く力のない愛も期待してはいません。むしろ、知る力と見抜く力とを伴った愛こそが、本当に重要なことを見分けることができるのです。
今日の言葉…「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」フィリピの信徒への手紙一章9節、10節