おはようございます。南与力町教会の山村貴司です。
アカデミー賞を取った「おくりびと」という映画がありました。亡くなられた方を心を込めて葬る、納棺師の物語でした。この映画には一人の人の人生がいかに貴く重いかということ、そしてまた、どんな人間も必ず死の時を迎える、どんな人間にも必ず死の時が来るのだ、という事実が浮き彫りにされていました。私たちの人生には、例外なく“終り”の時が訪れるのです。
私たちはこの事実から、何をくみ取るべきでしょうか?それは、人生は有限で“限りがある”ということ、人生は“たった一度きり”で、かつそれは“短い”ということです。それゆえ、私たちはその人生を最大限に用い、“最高の、すばらしい人生”を送らなければならない…そう思うのです。
では、いったいどんな人生が最高の人生なのか?どのような人生が最高に幸せな人生なのでしょうか?
昔、ヴェスビオ火山で有名なポンペイの人々は、“私たちの人生はあまりにも短い!それゆえ、私たちは飲んで歌って、自分を楽しませて生きるべきだ!”と言いました。そこに示された人生とは何か?それは自分を楽しませる人生、すなわち自分が楽しみをいただく人生、自分が恵みをいただく人生、と言えると思います。もちろん、私たちは自分がいろいろな楽しみをいただき、いろいろな恵みをいただくとき、幸せになります。
けれども、イエスは驚くべきことに、さらにすぐれた幸せの法則をお教えになられました。イエスはおっしゃいました。“もしあなたが、今よりももっと幸せになりたいと願うなら、あなたは“いただく”ことではなく、“与える”ことを考えなさい!…今よりももっと幸せになりたいと願うなら、あなたは“与える”ことを考えなさい!”そのようにおっしゃったのです。「受けるより、与えるほうが幸いである」!これは使徒言行録にあるイエスの有名なみ言葉です(使徒言行録20:35)。
NGO「ペシャワールの会」の伊藤和人さんがかつてアフガニスタンで人道支援中、暴漢によって殺害されました。大変つらい、心痛める出来事でした。私たちは彼の人生を一体どのように考えるでしょうか?私たちはともすると、そのようなつらい末路を迎えた彼の人生は不幸せだったのではないかと考えるかもしれません。しかし、私は、彼の人生はそのようなものではなかったと思います。なぜなら彼はその人生で、たくさんのものを現地の人々に与えたからです。彼は自分の持っていたたくさんの技術をアフガンの人々に与えたからです。そして何よりも彼は、自分の持っていたたくさんの愛情をアフガンの人々に与えたからです。
きょう、イエス・キリストは、ほんとうの幸せについて教えています。私たちは、あたかも、何かを“いただく”ときに幸せになると考えてしまいます。けれども、ほんとうの幸せはそこにはありません。ほんとうの幸せ…、それは私たちが“与える”ときにやってくるのです。
どうか私たちが、“いただく”人生ではなく、“与える”人生を送ることができますように。