BOX190 2010年11月10日(水)放送    BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 教会に共同墓地はありますか? 広島県 S・Iさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は広島県にお住まいのS・Iさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「以前、教会に行っていましたが、長い間離れていました。人生の様々な出来事を経験し、再び教会に行きたいと願っています。洗礼も受けたいと思いますが、教会には共同墓地のようなものがあるのでしょうか。」

 S・Iさん、いつも番組を聴いてくださりありがとうございます。お便りを読ませていただいて、わたしがまだ牧師駆け出しの頃のことを思い出しました。その頃同じ県内で伝道をしていた先輩牧師が、地方伝道では墓地の問題はかならず切実な問題になるので、できるだけ早く教会の墓地を持つように考えておいたほうがよい、とのアドバイスくれました。
 その頃のわたしは、まだ牧師になって右も左もろくにわからない時代だったのと、伝道を始めたばかりで、まだ教会の集会そのものもままならない時だったので、そんな早い時期から墓地のことをいう先輩牧師の助言があまりピンときていませんでした。せっかくの親切なアドバイスも、わたしの心の中では、「そんなものなのかなぁ」というぐらいの受け止め方でした。

 もちろん、その先輩牧師は、ご自分が開拓伝道をしていた教会のために、比較的早い時期から教会墓地を手に入れるようにと計画を進めて、次の開拓伝道地へと移られる前には計画を実現へと運んでいました。

 これもまた余談になりますが、わたしがお世話になった宣教師の先生から聞かされて、印象に残っているお話です。
 わたしがまだ高校生の頃、やっと洗礼を受けて間もない頃のことだったと思います。何がきっかけでそんな話になったのかは忘れてしまいましたが、話題がお墓の話になりました。その宣教師の先生が言うには、土地の狭いオランダでは、墓地は何十年かに一度、整地してまた新たな墓地にしてしまうそうです。
 合理的といえば合理的ですが、日本人の感覚からはとても考えられない話だと、そのとき印象深く思いました。そして、ヨーロッパのキリスト教国では墓地に関してみんなそういうクールな考えを持っているのだと、しばらくの間、そう思い込んでいました。

 しかし、よくよく考えてみると、キリスト教では体の復活を信じていますので、素朴な感覚からいって、出来る限り丁重に葬りたいという思いの方が素朴な感情なのだと思います。それで大抵のキリスト教国では、昔から、埋葬方法は火葬にはしないで土葬と決まっていました。そういう意味から考えると、キリスト教会にとっても遺体を葬る場所である墓地は、決してどうでも良い事柄ではないはずです。むしろ、オランダの墓地の話は、同じキリスト教国でも例外的なことで、やがて復活の時を迎える体を葬る墓地を掘り返して再利用してしまうなどという発想は、余程の意識改革がない限り生まれてこないものだと思います。

 さて、話がずいぶん横道にそれてしまいましたが、先祖崇拝の場所という意味での墓地は、キリスト教にとってはまったく無用の存在ですが、しかし、復活の時を待ち望みながら、遺体を丁重に葬る場所としての墓地は、キリスト教会にとって大切な問題です。もちろん、その場合、どういう埋葬方法や墓地のあり方がキリスト教的にありうるのか、ということはまた別の議論になるかと思います。そのことに関しては別の機会に取り上げたいと思います。

 そこで、墓地の話に戻りますが、先程、先輩牧師のアドバイスの話に触れました。そのとき、その先輩牧師が地方伝道をする上で、教会墓地のことをよく考えておくようにアドバイスしたのには、理由がありました。その理由というのは、その先輩牧師が実際に地方伝道を経験する中で得たことですが、それは、お墓の問題でクリスチャンになることにためらいを覚える人が、案外多いということでした。
 そのためらいの理由というのは、自分が家族で一人クリスチャンになった場合、当然先祖の墓に一緒に葬ってもらうわけにはいかないし、また、一緒に入れてくれる可能性も少ないだろうから、自分が死んだらお墓はどうなるのか、という心配です。そういう心配を口にされる方が案外多いのだそうです。わたしはその当時は駆け出しの牧師でしたから、そういう心配を持った人がいることなど、想像もできないことでした。

 もちろん、その場合、家族全員がそろってクリスチャンになってしまえば、自分たち家族の墓地を新たに用意するという可能性もあるでしょう。しかし、そうでなければ、自分一人がクリスチャンになるということは、お墓の心配までしなければならないということなのでしょう。そういうことを考慮して、先輩牧師のあのアドバイスが出てきたわけです。S・Iさんがご質問を寄せてくださったのは、ひょっとして同じようなことを悩んでいらっしゃるのではないかと思いました。

 では、日本のキリスト教会の実情はどうなのでしょうか。すべての教会を調べたわけではありませんから、正確な情報ではありません。あくまでもわたしが知っている限りでのことです。

 先ほどの先輩牧師の先生の場合には、一つの教会が墓地を一区画購入してその教会の共同墓地としていました。細かい規則は覚えていませんが、その教会の教会員であれば、誰でもそのお墓に葬ってもらえることになります。もちろん、本人が別のお墓を用意しているのであれば、その限りではありません。

 しかし、一つの教会が一つの墓所を手に入れるということは必ずしも簡単なことではありません。そこで近隣の同じ教派の教会が二、三共同して、一つのお墓を用意するという場合もあります。
 そのような場合には、イースターの日などに共同の墓前礼拝が持たれたりする場合もあります。また、共同の納骨式がそのときに一緒に行われることもあります。もちろん、そうでない場合もあります。

 共同墓地の管理や運営に関する規則は、それぞれの教会によって定めていると思いますので、詳しいことは今出席している教会の牧師か担当の役員の方にお尋ねください。

 しかし、自分たちの墓地をもっていないという教会があることも事実です。ただ、わたしの知る限りでは、持たないということを特別に主張しているわけではなく、近い将来には手に入れたいと思っているか、あるいは、墓地購入のために準備を整えているかのどちらかです。

 最初にも言いましたが、先祖崇拝の場所という意味でのお墓はキリスト教会にとっては不要なものですが、しかし、墓地そのものを軽視しているというわけでは決してありません。むしろ、遺体を丁重に葬るために墓所を用意することは、聖書の中に登場する人物たち自身がしていることです。そういう意味で、今は墓地を持っていない教会も、何らかの用意をする必要があることは、課題として認識しているはずだと思います。
 もし、お墓のことが心配で、洗礼を受けてクリスチャンになることをためらっていらっしゃるのでしたら、どうぞそのような心配を、今通っている教会の牧師に率直に質問してみてください。すでに教会の墓地を持っている教会ならば、運営管理の規則を教えてくれるはずです。また、もし、まだ教会墓地を持っていない教会であったとしたら、きっと墓地についてどういう計画をもっているのか、安心できる答えをしてくださるはずです。

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