お変わりないでしょうか、川越教会の木村香です。
もう随分前のことですが、人間の値打ちがどれほどか計算したというものを見たことがあります。ほとんどが水分で、蛋白質が何パーセント、カルシウムがどれほど、なにがいくら、値打ちのあるものはほとんどなし。せいぜい何十円というところか、とありました。ところがしばらく前に同じようなものを見たのです。今度は時代を反映して、人間の持っている知識、情報という点から見ていました。どんなコンピュータよりも優れているという結論で、その値打ちは価が付けられないとありました。見方によってずいぶん違うものなのですね。わたしたちは人間というものをどのように見ればよいのでしょう。
さて、神さまが天地創造なさったとき、その一番最後に、人間をお造りになりました。聖書には「土の塵で人を形づくり」(創世記2:7)とあります。土、か。それじゃぁ、ただかな? いや、わたしはその後のところに注意したいのです。「その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)という御言葉です。これは特別なことです。神さまの「命の息」を分けていただいてわたしも持っている。これは、他の動物が持っていないものです。言葉を換えれば、そもそもの初めから神さまとの関係、神さまとの交わりの中に、人は人として生かされているということです。聖書は、人は神様に愛されている(1ヨハネ4:10)とも書いています。それは無限の値打ちです。
わたしたちの周りにはモノが溢れかえっています。豊かです。世界中の人がうらやむくらいです。みんなせかせか走っています。でも、どこへ行こうというのでしょう。心は、神さまとの交わりは大丈夫なのでしょうか。