BOX190 2009年4月8日(水)放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: イエスの公生涯は三年? 愛知県 K・Kさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りする、BOX190の時間です。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は愛知県にお住まいのK・Kさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「質問ですが、2008年3月26日放送のイエスの公生涯の期間について、放送原稿にこう書かれていました。
 『その期間はヨハネ福音書の記述を考慮して三年ちょっと程の期間だと普通考えられています。学者によってはマルコ福音書の記事だけを参考にしておよそ一年と考える人もいます。』
 ヨハネ福音書のどこをみて三年位と分かるのでしょう? 『学者によってはマルコ福音書の記事だけを参考にしておよそ一年と考える』とは、どこの記事のことでしょうか?」

 K・Kさん、いつも番組を聴いていてくださってありがとうございます。また、今回はホームページから昔の番組を聞いてく下さって嬉しく思います。まだ「ふくいんのなみ」のホームページをご覧になったことのない方は、ぜひこの機会にご覧になってみてください。トップページ画面左の欄に番組案内がありますが、その下の方に過去の放送データへのリンクがあります。

 さて、今回のご質問は2008年3月26日放送の中に出てくるイエス・キリストの公生涯の期間についてのご質問です。

 そもそもイエス・キリストがいつお生まれになったのか、という年代の計算方法はすでにこの番組の中でも何度か取り上げたことがあると思います。しかし残念ながら聖書の記事をすべて動員しても、その正確な年代を決定することはできません。
 ただ、キリストの誕生の年について最も完璧に近い年代を記しているのはルカによる福音書です。それは記された二つの証言の組み合わせから成り立っています。
 一つはイエスが洗礼を受けられたのがおそよ30歳のときであったということです(3:23)。そして、イエスに洗礼を授けたヨハネが活動を開始したのは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき」(ルカ3:1-2)ということです。
 皇帝ティベリウスの治世の第十五年が西暦で言うと何年であるかと言うことを割り出して、そこから30を引けば誕生した年を突き止められそうです。

 もっとも今回のご質問はイエス・キリストの誕生年ではなく、公生涯の期間についてですから、公生涯の始まりと終わりの年代が分かりさえすれば、簡単に計算できてしまいそうな気がします。
 少なくとも、公生涯のスタートはルカ福音書が記しているように「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」です。
 と単純に言いたいところなのですが、ルカによる福音書が記しているのは洗礼者ヨハネの活動が開始された年代ですから、そこから一体どれくらいの期間が過ぎてイエス・キリストが洗礼をお受けになったのか、一年以内だったのか、一年以上経ってからだったのか、それ以上詳しいことは記されていません。
 仮にほとんど数ヶ月もしないうちにイエス・キリストが洗礼を受けたとしても、まだ問題が二つ残っています。
 一つは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」が一体西暦では何年のことなのかという問題です。皇帝ティベリウスはその前の皇帝アウグストゥスと共同統治の時代がありました。第十五年というのはその共同統治期間も含めてのことを言っているのか、それとも単独の統治になってからのことを言っているのか不明だからです。
 二つ目の問題は公生涯の終わりに関して、年代を推測できるような何も確かなものがないと言うことです。もっとも何もないと言うのは嘘で、ポンテオ・ピラトがユダヤ総督の時代に、ニサンの月の14日が金曜日に来るユダヤ教の暦の巡り合わせから、キリストの十字架は紀元27年、30年、33年、36年のいずれかという可能性が挙げられています
 キリストの公生涯がどれくらいであったのかというその不確かさはルカ福音書が記している、公生涯の初めがおよそ30歳であったとする記事から出発して考えてみても結果は同じです。キリストの十字架が何歳の時であったのかが記されていないので、結局、公生涯が何年続いたのかはわからないままなのです。

 さて、絶対的な年代から出発して、公生涯の期間を計算することにはいくつかの問題点をクリアしなければならないことは、以上のことからご理解していただけたかと思います。

 では、他にどんな方法でイエスの公生涯が何年続いたかを知ることができるでしょうか。実は、それがご質問に出てきた文章…「その期間はヨハネ福音書の記述を考慮して三年ちょっと程の期間だと普通考えられています。学者によってはマルコ福音書の記事だけを参考にしておよそ一年と考える人もいます」という文書に言われていることと関係しているのです。

 つまり、イエス・キリストは公生涯の中で何回過越の祭りを過ごされたかという記述をたよりに、公生涯の長さを推測しようと言うものです。

 ヨハネによる福音書によれば、まず2章13節に最初の過越の祭りについての言及があります。そのときイエスはエルサレムに上っています。
 二回目の過越の祭りについての言及は6章の4節です。五千人の人々に五つのパンと二匹の魚から食べ物を分け与えられた軌跡をキリストが行なったのは、過越の祭りが近づいた頃であったと言われています。
 そして、三回目の過越の祭りは、十字架につけられたときのことです。
 さて、これだと、過越の祭りから過越の祭りまでの年数は2回分しかありませんから、公生涯の期間は二年と言うことになります。ただ、最初に言及される過越の祭りの前にどれくらいの時間が経過していたのかは分かりませんから、公生涯の期間は長く見積もっても三年未満と言うことになります。
 ただし、ヨハネ福音書5章1節に出てくる「ユダヤ人の祭り」を過越の祭りと考えると、もう一年増えますから、三年以上四年未満ということになるわけです。イエス・キリストの公生涯が一般に三年であると言われるのは、このヨハネ福音書の記事から計算したものなのです。

 しかし、これがマルコによる福音書で同じ方法を使ったらどうなるでしょうか。マルコ福音書にはたった一度しか過越の祭り(除酵祭)のことが出てきませんから、どんなに長くても公生涯は一年未満と言うことになってしまうのです。

 というわけで、イエス・キリストの公生涯の期間はヨハネ福音書の記述を考慮して三年ちょっと、学者によってはマルコ福音書の記事だけを参考にしておよそ一年と考える人のいるのです。

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