いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
旧約聖書の中で「希望」という言葉を調べてみると、ヨブ記とエレミヤ書にたくさん出てくることが分かります。
さて、ヨブ記とエレミヤ書に共通したことはいったい何でしょう。書かれた時代も背景も、文書としてのジャンルも違います。一つ思い当ることは、どちらにも「苦しみ」や「困難」が横たわっていると言うことです。ヨブは楽しんでいた幸せと繁栄から理不尽にも突然転落してしまいます。突然襲った不幸そのものも苦しみでしたが、気心知れた友人までもが、不幸の原因がヨブ自身にあると責め立てます。そういう二重の苦しみがヨブにはありました。
またエレミヤ書の預言者エレミヤが活躍した時代は、周囲を取り巻く強大な帝国の力にさらされて、ユダ王国が滅びへと向かう時代でした。政治的な駆け引きが破綻し、将来の展望が描きにくい苦しみの時代です。
しかし、そういう時代にこそ「希望」という言葉が必要とされるのです。そういう時にこそ「希望」について真剣に考える必要があるのです。
聖書には万策尽きた人間がなお拠り所とするにふさわしい希望が語られています。
きょうのみ言葉・・・「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」エレミヤ書29章11節