キリストへの時間 2008年8月31日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

土田靖昭(高知教会長老)

土田靖昭(高知教会長老)

メッセージ: あなたの恵みはわたしには十分です。

 おはようございます。高知教会の土田靖昭といいます。
 わたしは、日曜日にキリスト教会の礼拝に出席している、クリスチャンです。でも清く正しい生活をしているかと聞かれたら、答はNOです。私よりもっと清く正しく、社会に奉仕し、貢献している人はたくさんいます。
 それではなぜ、このようなメッセージを、あなたは語っているのかと聞かれたら、その答は、私が持っているプライドです。わたしは、神様によって、特別なものとされた存在であることに、誇りを持って生きていることを、はっきりと言えるからです。

 神様の存在を信じているからといって、世間の人たちと、違った生活をしているわけではありません。食べる物、着る物、住む所がわたしたちにも必要であり、同時にこれらのために、思い悩んでいます。人それぞれ興味の対象は異なるかもしれません。いずれにせよ、それぞれ個人の収入、生活費、おこずかいの範囲で、正しく用いれば、わたしたちの生活は、楽しく喜び、感謝に満たされたものになります。
 しかしひとたび分を超えると、それはすべて重荷となってしまいます。わたしたちには欲があります。欲にかられ、ついに金銭を求める誘惑、罠によって無分別になり、人としても、又クリスチャンとしても道をふみはずしてしまうのではないかという不安を、いつもかかえています。

 パウロという人は、フィリピの信徒への手紙の中で次のように語っています。

「わたしは自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」

 わたしを強めてくださるのは、イエス・キリストです。イエスは、弟子達への説教の中で、衣・食・住のことより、命のことを考えなさい。あなたたちが、命のことについて考えているなら、これらのものはすべて与えられる。命も神様が治めているのです。
 わたしたちは、この世に何も持たずに生まれ、世を去る時には、何も持って行くことができません。世を去るとき持って行けるのは、信仰だけです。信仰だけが、この世にあっても、この世を去ったのちにも、わたしたちに真の平安を与えてくれるのです。
 わたしたちは、日常生活全般を通して、キリスト者であることを証しする事が求められています。わたしが信仰生活30年で習い覚えたこと、それは信仰と生活のどちらもしっかりと、バランスを取ることです。バランスを取ることによって、信仰と生活のよき証し人となることができます。

 今わたしが心から主に祈り願っていることは、
 「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしの定められたパンで、わたしを養ってください。飽き足れば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。」これは箴言30章のみことばです。

 信仰に生きる今の私たちに、よい指針を与えてくれます。生きるすべを私たちに教えて下さるのは、霊なる神様です。御霊なる神様は、このラジオの電波を通しても、豊かに働いておられます。

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