キリストへの時間 2008年8月10日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山村貴司(南与力町教会牧師)

山村貴司(南与力町教会牧師)

メッセージ: 人は何によって生きるのか?

 おはようございます。南与力町教会の山村貴司です。

 現代人の多くは、人が食べるものや着る物…という「物質」が備わっていると生きることができる…、そのように思っています。はたして人は、「もの」が備わっていれば生きることができるのでしょうか?「もの」以外に大切なものはないのでしょうか?

 バブル経済の絶頂期に、この問題を提起したのが、「北の国から」という、田中邦衛さん主演のロングセラー番組だった、と思います。富良野の貧しい村の、雪の降り積もる山奥で、主人公の貧しい家庭には何もありませんでした。伴侶とは別れ、山には仕事もなく「もの」もない、お金も富みもない…。けれどもそこには別なものがありました!そこには、残された子供たちとの暖かな団らんがありました!そこには心温まる団らんと、豊かな愛と慈しみがありました!
 このドラマは、日本が経済やものに希望を置いていた時期に作られました。そして、人の真の希望が「もの」にはないことを教えたのではないでしょうか。人の真の希望は別なところにあるのです。その希望は、「愛される」という事の中にあるのではないでしょうか。

 聖書に、エリヤという人物が、荒れ野の山奥にいた時、そこにみ使いが現れ、パンと水を備えて行ったという出来事がしるされています。そしてエリヤは、このパンと水を飲んで立ち上がることができた…というのです。ここにもあるように、確かに、人が生きるためにはパンと水が必要です。それは、人の体に力を与え、日々の維持にはかかせないものだからです。
 けれども、人は、それがあったら生きて行くことができるのでしょうか?人はもう一つ別のものがないと生きていけないのです。それは、暖かな愛と、慈しみではないでしょうか。人は、誰かに心にとめられ、愛される時に、初めて生きることができるのではないでしょうか。
 この時、荒れ野の山奥でエリヤを心にとめて、愛していたのはいったい誰だったのでしょう?

 この時、彼は人から追われていました。迫害者たちは彼を中傷し、彼らは彼の命をも奪おうとしていました。彼はまったく孤独でした。その山奥には誰一人いない…、そこには、自分のことなど心にとめてくれる者など誰もいない、と思っていました。しかし、現実は違っていました。現実にはそこには自分のことをいつも心にかけて、愛してくれる方がおられたのです!神様でした!神様は、み使いを通して彼の肩に触れ、み使いを通して優しい声をかけてくださいました。神様は、彼を絶えず心にとめ、愛しておられたのです。

 人間が生きる上で必要な物は数多くある、と思います。けれども、なくてはならないもの、それは愛される…ということではないでしょうか。
 そして神様は、いつも私たちを心にとめ、愛しておられるお方なのです。

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