キリストへの時間 2008年6月22日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

後登雅博(清和学園聖書科教諭)

後登雅博(清和学園聖書科教諭)

メッセージ: 苦しみと慰め

 おはようございます。清和学園の後登雅博です。今日は、清和学園に来てからのことをお話します。
 清和学園は、高知県で唯一のミッションスクールです。つまり、キリスト教主義に立った学校です。清和学園の一日は、全校生徒、教職員が集まる朝の礼拝で始まります。学校のある日は、いつも礼拝が行われます。体育大会の日も、学園祭の日も、もちろん様々な試験の日も、必ず礼拝を守ることにより、1日をはじめます。もちろん、学校ですから、勉強が中心であることは言うもでもありません。しかし、清和学園では、勉強と共に、神様を中心とするのです。

 清和学園に来て思った事は、優しい生徒が多いなあ、ということです。これは、女子高だからということだけではなく、やはり神様を中心とした教育の賜物であると思っています。とは言え、すべての生徒がクリスチャンというわけではありません。むしろ、信仰を持っている生徒のほうが少ないのです。それでも、毎朝のチャペル、日常的になされる祈り、クリスチャンの先生方との交流。これらのことが、生徒たちに与える影響は決して小さくありません。「朱に交われば赤くなる」ではありませんが、キリストに交われば、キリストに似るものとなっていくのです。

 そして、私のことに関して言えば、どちらが先生が分からないくらい、彼女たちに助けられています。本来ならば教師が生徒を導き、支えるものですが、何度も生徒に助けられてきました。初めのうちは、どのようにしていまどきの女子中高生と関われば良いのか、と悩んでいましたが、今は彼女たちと過ごすことがとても楽しいのです。もちろん、いいことばかりではありません。時には、彼女達の抱える悩みや悲しみがあまりにも深いので、こちらがつぶされそうになることもあるのです。でも、そんなときにも、支えてくれるのもまた彼女たち自身なのです。

 聖書には「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難のなかにある人々を慰めることができます。」(2コリント1:4)とあります。神様は、どのような苦難の中でも慰めてくださるというのです。では、目に見えない神様はどのようにして私たちを慰めてくださるのでしょうか。それは、あなたの周りにいる人々や、さまざまなことを通してです。私にとっては生徒たちが、神様から遣わされた慰め主なのです。

 今、何ともいえない苦しみの中にある方がいるかもしれません。でもよく落ち着いて、周りを見回してみてください。きっと神様は、あなたのための慰めを用意してくださっているはずです。私が、生徒たちのことで悩みながら、その生徒たちに助けられているように。もしかしたら苦しみと慰めはコインの裏表のようなものかもしれません。苦しみには必ず、慰めが伴っているのです。苦しんだ人こそが、同じように苦しんでいる人の慰めとなりうるのです。
 そして、あなたの苦しみは、必ず神様が慰めてくださいます。つまり、あなたの苦しみ、それは誰か他の人の苦しみを慰めるために必要なものなのです。そうです。決して意味のない苦しみはないのです。また、神様によって慰めていただけない苦しみもないのです。なぜなら、イエス・キリストこそが、十字架にかかるというこれ以上ない苦しみを体験されたからです。
 あなたの上に、神様の慰めと助けとがあるようにと祈っております。

コントローラ

Copyright (C) 2008 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.