キリストへの時間 2008年6月8日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保 薫(高知教会会員)

久保 薫(高知教会会員)

メッセージ: 信仰の恵み

 おはようございます。高知教会の久保薫です。
 毎週日曜日には教会で礼拝が守られます。いろいろなところからイエス・キリストを信じる方々、わたしたちはこれを互いに「兄弟姉妹」と呼ぶのですが、兄弟姉妹方が集まって来られます。家族で来られる方もいらっしゃいますが、日本においてはまだ、家族の中で自分一人だけがクリスチャンであるという方がたくさんいらっしゃいます。そういう方は、家族に気を遣いながら、遠慮しながら、礼拝に来られます。でも、「きょうは礼拝に来られて良かった」という喜びが、傍で見ていてもわかるのもそういう方なのです。

 ではそうまでしてクリスチャンとなることの恵み、とは何でしょうか。クリスチャンになるとどんないいことがあるのでしょうか。健康が守られて病気にならないのでしょうか。人間関係で悩んだりすることがなくなるのでしょうか。事故にあったり怪我をしたりしなくなるでしょうか。勉強がよくできるようになって、望みどおりの進学ができるでしょうか、自分の夢や願いがかなうでしょうか。 ・・・残念ながら、クリスチャンになっても病気になることはあります。人間関係で悩む人もいます。すべての事故や怪我から守られるわけではありません。夢がすべてかなうわけでもありません。実際、聖書の中に登場してくる信仰深い人物たちも、さまざまな苦しみに遭い、涙を流し、悲嘆にくれて神に祈りを捧げています。

 しかし、その一方で、聖書には、信仰者が拠り所とした神様の一つの約束が何度も記されています。それは、「わたしはあなたと共にいる」という約束です。
 先週お話ししたヤコブもこの約束の言葉を頂いた一人です。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る」と言われたのです。神が共にいてくださり、「わたしの神」となってくださること。これがその後出会った様々な試練の中においてもヤコブを支えた力ある御言葉でした。

 十戒で有名なモーセも、「わたしは必ずあなたとともにいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」と言われて召し出されました。その後をついだヨシュアにも、「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」と約束されました。ずっと時代が下がって、イエス・キリストの誕生の記事においても「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神はわれわれと共におられる』という意味である。」といわれています。
 そして聖書の一番最後の書、ヨハネの黙示録では、天国の様子を次のように描いています。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。・・・」
 これが天の御国であり、永遠の命と言われるものなのです。

 苦しみの中にあっても、病の中にあっても、そこに神が共にいてくださるとき、私たちは支えられます。その苦しみには意味があり、神様がよしとしてくださるとき、その苦しみが終わることを知っているからです。一度は神のもとを離れた人間をイエス・キリストの十字架が再び神のもとへと結びつけてくださいました。ですから、イエス・キリストを信じる人は、神が共にいて下さることを確信することができるのです。
 人生の一日一日が神によって生かされている、という平安、喜びの時も、悲しみの時も、いつも神とともにある、という恵み、これが信仰の恵みなのです。

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