キリストへの時間 2008年3月9日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 憐れみ深く恵みに富む神

 おはようございます。山下正雄です。
 昔、日本に初めてキリスト教が伝わってきたとき、ラテン語のデウスという言葉を「大日如来」の「大日」と翻訳して日本人に伝えたという話を聞いたことがあります。今から思えば随分おかしな笑い話です。しかし、デウスを「神」と翻訳したとしても結果は同じだっただろうと思います。なぜなら人が描く「神」のイメージというものは様々だからです。この場合、どんな単語で「神」という言葉を翻訳するのかということよりも、キリスト教では「神」というものをどのように捉えているのか、その方がはるかに大切です。

 さて、聖書には人間に語りかけ、歴史を通してお働きになる神の姿が記されています。キリスト教が「神を知る」というときには、この語りかけ、歴史を通してご自身をお示しになる神を、神がご自身をお語りにまるがままに理解するということなのです。
 聖書の神を一言で定義することはできません。そのご存在の豊かさを言い表そうとすれば、それこそこの世の言葉をすべて使い果たしてもなお表現しきれないくらいでしょう。断片的にではありますが、それでも、神はわたしたちにご自身のことをたくさん語ってくださるのです。
 あるとき、聖書の神はご自分のことをこうお語りになりました。

 「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」(出エジプト34:6-7)

 ここには神の相反する側面が同時に描かれています。一方では憐み深く、忍耐強く、わたしたちの罪も背きも赦してくださるお方です。神はわたしたち人間とは違って弱さも汚れもない、清く正しいお方です。それにもかかわらずわたしたちとかかわりをもってくださるのです。誘惑に弱く罪深いわたしたちを忍耐し、憐れんでくださり、そればかりではなく溢れるばかりの恵みを注いでくださいます。神は実に憐れみ深く恵みに富むお方です。
 しかし、それと同時に罰すべき者を罰せずにはおかないお方なのです。罪をうやむやにしたり、正義を捻じ曲げて終わりにしてしまうようなことをなさらないお方です。まさに正義を愛し、悪を憎まれるお方です。そういう意味では妥協を許さないお方ともいえるでしょう。
 実は聖書の神の相容れないようなご性質が御子イエス・キリストの中にもっとも鮮やかに示されているのです。

 神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛してくださいました。神が御子イエス・キリストを遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためだったのです。このキリストの派遣の中にこそ神の限りない愛と慈しみが示されています。
 と同時に、神はこのキリストを十字架におかけになって人間が取るべき罪の責任をキリストに負わせ、罪の贖いとして下さったのです。キリストの十字架には神の正しさ、神の正義が恐ろしいほどに現われているのです。
 キリスト教が信じている神はこの二つの側面を同時に持っていらっしゃるお方です。
 どうぞあなたもキリストの下に来て、神の愛と神の正義とを豊かに自分の物としてください。

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