おはようございます。山下正雄です。
「戦争」という言葉はあまり良いイメージの言葉ではありません。だれも好んで戦争をする人はいないでしょう。しかし、「戦い」という言葉は使われ方によってはとても積極的なイメージを持った言葉です。悪との戦い、差別との戦い、貧困との戦い、誘惑との戦い、自分との戦い…色々な意味での戦いがあります。そして、どの戦いもそれに負けないことが大切です。戦いに勝つために訓練して自分を鍛え、時には節制して戦いに備えることもあるでしょう。
聖書の世界にも「戦い」はあります。特に新約聖書は文字通りの戦いではなく、サタンや悪霊に対する霊的な戦いのことをしばしば記しています。サタンや悪霊というとグロテスクで恐ろしい架空の世界を想像するかもしれません。黒い翼と尖った尻尾を持ったサタンが人間を攻め立てて餌食にする様子を心に描くかもしれません。
しかし、聖書がいうサタンや悪霊に対する霊的な戦いというのはそんな漫画のような空想世界の話では決してないのです。サタンとはそもそも神に敵対するもののことです。神から人間の心を離れさせようとするあらゆるものに対する戦いが、霊的な戦いなのです。そして、クリスチャンはこの霊的な戦いにキリストの兵士として戦うことが求められているのです。
ところで、どんな戦いも勝つか負けるか分からない戦い、勝算が定かでない戦いほど苦しいものはありません。まして負けることが分かりきっている戦いであれば、兵士の士気は下がりっぱなしです。だれがそんな戦いに喜んで加わるでしょうか。
しかし、キリストの兵士として戦うとき、輝く勝利が約束されているのです。聖書にはこんな言葉が記されています。
「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(ローマ8:37)
聖書が戦うようにと勧める戦いは霊的な戦いです。その戦いはわたしたちを神の愛から離れさせようとするあらゆるものに対する戦いです。しかし、その戦いは勝つか負けるか分からない戦いではないのです。わたしたちを愛してくださる神によって既に輝かしい勝利を約束された戦いのなのです。
聖書はさらにこう言っています。
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38-39)
さて、先ほど「クリスチャンはこの霊的な戦いにキリストの兵士として戦うことが求められている」と言いました。それではキリスト教を信じていない人にはこの戦いがないのでしょうか。いえ、けっしてそうなのではありません。人はだれしも自分の造り主である神から離れてはいけないのです。まことの神を離れてはまことの幸せもないからです。この幸せをいつまでも自分の手元に留めておきたいために、すべての人は戦っているのです。
しかし、キリストの兵士として戦っている者だけがこの戦いに勝利することが約束されているのです。あなたもぜひキリストの兵士となって輝かしい勝利を収め、幸せを手に入れてください。