BOX190 2008年12月10日(水)放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 熱心党とはなんですか 福岡県 M・Kさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は福岡県にお住まいのM・Kさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、こんにちは。いつも番組を楽しみに聞かせてもらっています。早速ですが、イエス様の弟子に熱心党のシモンという人物がいます。熱心党というのはどういうどういう党派なのでしょうか。教えてください。それは政治的な団体なのでしょうか。それとも宗教的なセクトなのでしょうか。
 また、なぜイエス様の弟子に熱心党の人物が加わったのでしょうか。熱心党員として弟子入りしたのでしょうか、それとも元熱心党だったのをやめて弟子入りしたのでしょうか。イエス様の教えに熱心党員として惹かれるものを感じたのでしょうか、それとも、熱心党の主張に失望してイエス様のところにきたのでしょうか、教えてください。よろしくお願いします。」

 M・Kさん、お便りありがとうございました。ご質問を読ませていただいて、問いの立て方にとても感心いたしました。「熱心党とは何か」という疑問は、福音書を読んで誰もが抱く疑問かもしれません。しかし、熱心党の人物がイエスの弟子であったという福音書の記述から、その人物がイエスの教えに熱心党に共通するものを感じたのか、それとも、熱心党の主張に失望してイエスのところにきたのか、と二つの可能性を想定して問いを立てるあたり、日ごろのM・Kさんの考え方の深さを垣間見たような思いがしました。

 さて、先ずご質問の中に出てきたイエスの十二弟子の一人「熱心党のシモン」ですが、その名前が新約聖書に登場するのは全部で四回です。そのうち三回は十二弟子をイエス・キリストがお選びになった記事に出てきます。マタイによる福音書、マルコによる福音書、そしてルカによる福音書のそれぞれの場所に出てきます。福音書の中では後にも先にも、十二弟子の名前のリストの中にしか出てきません。それ以外の場所で「熱心党のシモン」名前が出てくるの使徒言行録の1章13節です。そこに記されているのは、やはり弟子たちのリストです。

 十二弟子の中には二人のシモンがいましたから、この二人を区別するために、何かしらの呼び名が必要だったことは頷けます。一人はペトロと呼ばれるシモン、もう一人は熱心党のシモンです。ペトロと呼ばれたシモンの方は福音書以外にも名前が何度も出てきますので有名ですが、熱心党のシモンの方は、十二弟子のリストにしか出てきませんから、残念ながらそれ以上のことは聖書からは直接知ることはできません。

 ところで、熱心党という名前は、新約聖書の中だけで見ると、やはり四回しか出てきません。その四回は先ほどの箇所とまったく同じです。新約聖書は十二弟子の一人「シモン」という人物とセットにしてしか「熱心党」と言う言葉を使っていません。
 ただ、少し話がややこしくなってしまうのですが、「熱心党」という言葉が四回しか出てこないと言ったのは、あくまでも日本語訳の聖書の話です。
 「熱心党」と翻訳されている言葉は、実は二種類あって、マタイとマルコ福音書は「カナナイオス」というアラム語に由来した言葉を使っています。「カナナイオス」という言葉が出てくるのはマタイとマルコがそれぞれ記している弟子のリストの二回だけです。それに対してルカ福音書では「ゼーローテース」という言葉が使われています。「ゼーローテース」と言う言葉自体は新約聖書の中に八回ほど出てきますが、「熱心党」と訳されるのは二回だけです。他の箇所では単に「熱心な人」という意味で使われ、特に「熱心党員」という意味ではありません。
 そうすると、十二弟子のシモンが熱心党員であったのか、それとも単に熱心な人という意味で「ゼーローテース」と呼ばれていたのかは、断定することはできません。実はそのことも頭の片隅に置いておく必要があるのです。

 さて、それでは、ご質問の熱心党とはどういう党派なのでしょうか。また、どういう意味で熱心党のシモンはイエスの弟子だったのでしょうか。

 まず、初めに熱心党についてですが、フラビウス・ヨセフスという人によって書かれた有名な『ユダヤ戦記』という書物の中に、熱心党についての有名なくだりが出てきます。

 ヨセフスによればユダヤには四つの学派があったと説明されます。この場合の学派というのはギリシアの哲学派になぞらえて、ユダヤ教の宗派をそう説明しているのです。
 その四つというのはファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、そして問題の熱心党です。ここでお気づきだと思いますが、エッセネ派以外はすべて福音書の中にその名前が出てきます。

 それで、ヨセフスがこの四つの学派について取り上げるのは、実は第四の学派、つまり、熱心党のことを問題にしたかったからです。というのは、ヨセフスが歴史書を記した目的は、あのユダヤ戦争で自分たちが徹底的な敗北を味わうことになったのは、熱心党の誤った影響のせいであるということを証明したかったからです。それで、熱心党の人たちはヨセフスの書物の中では、まるで悪者のように「強盗」という言葉で熱心党員のことが呼ばれています。

 ヨセフスによればこの熱心党の始まりは、ガウラニティスのユダ、あるいはガリラヤのユダという人に帰せられています。この人物については使徒言行録5章37節にも名前が出てきますが、ローマ皇帝への納税と人口登録を拒んで武装蜂起を指導した人物として知られています。
 熱心党の立場を簡単に言えば、主なる神だけが自分たちを支配する王であり、それ以外の王を断固として認めないという立場です。しかも、そのためには武力行使も辞さないと言う考えです。今風に言えば、宗教的国粋主義のテロリストと言えばイメージしやすいかもしれません。結局のところ、その政治的宗教的思想がユダヤの国民を戦争へと駆り立て、エルサレム神殿を崩壊させてしまうにまでに至らせてしまったのです。
 というのが、ヨセフスの歴史観です。

 それで、十二弟子の一人のシモンがこの熱心党の一員であったのかどうかは、先ほども言いましたが、断定することはできません。「熱心党のシモン」と訳すべきなのか、それとも「熱心な人シモン」と訳すべきなのかは、両方の可能性があるからです。
 もし、熱心党員であったと仮定した場合、シモンがイエスの弟子になったということはどういう意味があるのでしょうか。

 イエスを政治的なメシアと期待して弟子になったという可能性は否定できませんが、もしそうであったとすれば、イエスの教えは熱心党の立場と根本的に違っていますから、いち早く失望したに違いありません。
 例えば、熱心党の人たちは国粋主義者ですから、ローマ皇帝のために税金を集める徴税人とは真っ向から対立します。しかし、イエス・キリストは徴税人を積極的に弟子にしています。そのこと一つをとってみても、熱心党とイエスの教えには共通点はありません。ですから、シモンが熱心党の党員であったとしても、イエスの活動に熱心党と共通したものを見出して、弟子入りしたと言うことはありえないことです。
 むしろシモンがイエスの弟子で居つづけたと言うことは、シモンが熱心党の考えを捨てたということを物語っているのだと考えられます。
 熱心党に失望してイエスのもとに来たのか、それとも、最初はイエスに政治的なメシアを期待してやって来て、教えを聞くうちに熱心党の考えを捨てたのか、それは分かりません。とにかくイエスの活動と熱心党の活動とでは天地の差ぐらいの立場の開きがありますから、両方の教えに同時に立つことはできないことだけは確かです。

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