いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ルカによる福音書第2章にある、イエス・キリストの誕生物語は、次のように始まっています。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」。
これは、日本の国勢調査と違うのはもちろんですが、自分の家の出身地に戻って人口登録をせよという特別なことが命じられました。
すでにイエスを身ごもっていたマリアと夫のヨセフは、ガリラヤのナザレという町に住んでいましたが、この命令に従って150キロ以上も離れたヨセフの出身地ベツレヘムへと旅立たなければなりませんでした。二人にとって大変な旅であったはずです。そして、その旅先であるベツレヘムでマリアはイエスを生んだのでした。
故郷を遠く離れた見知らぬ町で初めての子を生むことは大変なことであったはずです。
けれども、救い主がベツレヘムで生まれることは、神様が決定し、旧約聖書のミカ書第5章ではじめから預言しておられたことでした。
なぜ、皇帝が出身地に戻って人口登録をせよと命じたのかは分かりません。皇帝には皇帝の考えがあったはずです。しかし、人の考えとは別に、神の決定が厳然としてありました。皇帝は、神の計画を実現する手段として用いられたにすぎないことをイエスの誕生物語は教えてくれます。
イエス・キリストをとおして神の救いが実現する事、これが歴史の意味です。このために、神は人の地位、個性、考えなどを自由にお用いになります。この神の救いを受け入れることが、自分の生きた確かなしるしを、歴史の中に刻むことになります。