いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ルカによる福遺書23章39節以下には、イエスが二人の強盗とともに十字架にかけられたことが記されています。
ひとりは、「おまえはメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしりました。もうひとりはそれをいさめて、「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」と言いました。何も悪いことをしていないにもかかわらず、十字架で苦しむイエスを前にして、このイエスの苦しみは人には理解できない神の出来事であることがわかったのです。
それで、このイエスに最後の望みを託して、「イエスよ、あなたが御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と願い出ました。
この願いに、イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と答えて、この強盗を救ったのです。
深い悲しみや、困難、神の裁きではないかと思えるつらい出来事などが身に起こることがあります。その時、神をのろい、人をうらやみ、自分をごまかして嘆く人もいれば、苦しみを通して、神の救いと真理を見出す人もいます。
その違いは、ただ人生を嘆くだけで過ごすか、その苦しみも神から来たことを知って、神に、すなわち、イエス・キリストに救いを求めるかどうかにかかっています。人生の困難は真理を探求する時にもなります。
誰であっても、遅すぎるということはありません。主イエス・キリストに救いを求めてください。