熊田なみ子のほほえみトーク 2006年10月31日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

あなたとわたしの生きてる時間 本当の言葉が欲しい!

 私の引越し、なんと8回目。この秋は、てんてこ舞いの毎日が続いています。そんなある日「あった!こんなところに、、、」どこに行ったかわからなかった10代の頃の日記が出てきたのです。埃だらけの黒いバッグ。「このまま捨てようか、いやゆっくり読んでから、、」と迷いながら、、、実は、こんな言葉が蘇ってきました。「君はゴミ箱だ、天性のゴミ箱だ。多くの人のゴミ箱になる、そんな生き方があれば君にピッタリだ。どこかの駅で「護美箱」と書いてあった、と私に語りかけたA君の言葉です。当時文通をしていた友人で私は片思いで悩んでいたのです。交通事故、頭蓋骨骨折で入院したり、火炎瓶を投げて警察に捕まったり、いろいろありましたね。

 今でも残念に思うのは、この友人が私に心の叫びを伝えてきたのに、私が相手に伝える言葉を持てなかったということ。「君の前に生き生きとキリストが現れたのはいつか、抜き差しなら無い関係になったイエスとはどんな方なのか、、、」そんな問いに答えられなかった私。そしていつかお互いは語る言葉を無くして行ったのです。あなたにはそんな出会いの経験ないでしょうか?あの時、どうして、伝えられなかったのだろう。

 秋も深まるこの頃、虫の音を聴きながら思い出します。ある番組で、危篤状態の父親に、父の大好きな歌手の歌をベッドの下から流し、父はその歌声で生きる力を得た、という実話を伝えていました。不思議な歌の力ですね。一緒にそのテレビを見ていた牧師である夫は言いました。「言葉に魂がこもらなければ相手に伝わらないんだ」と。そう、A君は叫んでいたのです。「本当の言葉が欲しい」と。それは、「生きる言葉が欲しい」、「本当の力ある言葉が欲しい」という心の叫び。それは、「借り物ではない自分自身から出てくる真実の言葉が欲しい」ということだったかもしれません。「本当に生きていると実感できる言葉」、それが「言葉に魂がこもる」ということかもしれません。

 今、私は信じます。生きている喜びを実感できる、それは真実の言葉「キリスト」に聖書によって生き生きと出会うことであると。

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