キリストへの時間 2006年1月15日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「エリート」

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。

 エリートという言葉はフランス語の「選ばれた者」という意味の言葉です。しばしばその言葉には、競争を勝ち抜いて選抜された者の優越感が漂っています。またそこには選ばれた者に対する羨望の思いも伴うことがあります。エリートという言葉の響きには凡人とは違った特別な人々というイメージがあります。それこそ狭き門をくぐり抜けた人だけに与えられる特別な称号のようにさえなっています。

 ところで、人が何かを選ぶというときには、大抵理由があります。それが自分にとって特別なものである理由です。エリートがエリートである理由は、秀でた才能であったり、特殊な能力であったりします。だからこそ、選び抜かれてその地位を手にするのです。しかしまた、自分にとって「特別な」と言い得る理由は、必ずしも才能や能力ばかりが基準ではありません。親がわが子を特別だと感じるのは、秀でた才能が発見されるよりももっと前からのことです。親子であるがゆえに、ただそれだけの理由で特別なのです。親の愛が子に注がれているからこそ、子は親にとって大切な存在だといえます。また逆に、大切な存在だからこそ特別な愛が注がれているとも言えます。

 聖書の中で「神の選び」について考える時に、エリートという言葉に伴うイメージで神の選びについて考えることはとても危険です。間違ったエリート意識や選民意識は、神の選びについて考える時には返って邪魔にさえなってしまいます。神は必ずしも、ある人々をその秀でた才能のゆえに選んでいるからではないからです。むしろそれは親子の関係に似ているかもしれません。神がその民を選ばれ、特別に扱っておられるのは、神の民が神にとって優秀だからでは決してありません。

 旧約聖書の申命記7章6節以下にこう記されています。

 「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。」

 では、いったいどんな理由があって神はイスラエルの民をお選びになったのでしょうか。申命記は続けてこう記しています

 「ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」

 親がわが子を特別に思うのは、子に対する親の愛が既に注がれているからです。子どもの中に何か特別のものがあるからではなく、愛するがゆえに特別な存在として扱うのです。同じように神もその民を特別に選んで下さるのは、神の愛の故なのです。選ばれる民の側に何も特別な理由がないとしても、それはたいした問題ではないのです。むしろ、神によって愛されているということが、その選ばれる対象に特別な存在の理由を与えているのです。神によって選ばれているとはそういうことなのです。

 神に選ばれようとする努力はとてもむなしいものです。むしろ、この注がれる神の愛を素直に受けとめることが、選ばれた神の民にふさわしいことなのです。神の愛を受け入れることで、自分が特別な存在であることを知ることができるのです。神の前には誰も自分が選ばれたことを誇ることができません。ただ、注がれた神の愛を受け入れ、その愛に応えていくことが選ばれた者に求められていることです。

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