お元気ですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
キリスト教は愛の宗教だとよく言われます。聖書の中にこんな言葉があります。
「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」
山を動かすほどの信仰とはずいぶん大げさな表現です。いったいどれほど大きな信仰が必要なのでしょうか。イエス・キリストは、米粒よりも小さなからし種ほどの信仰があれば山を動かすことができるとおっしゃいました。けれども、その山を動かすほどの信仰にも愛がなければ無に等しいと聖書は語ります。そんな信仰は無いのとおんなじだというのです。
そもそも山を動かすことにどれほどの意味があるのかという疑問もあるでしょう。そして、そんなことのために信仰が必要なのかどうか、そういう疑問もあるかもしれません。そこに意味を与えるのは愛なのです。愛を伴わなければ信仰にも意味が無いのです。この言葉を書いたパウロという人は、別の手紙の中で「愛の実践を伴う信仰こそ大切だ」(ガラテヤ5:6)と述べています。どんな才能も、どんな知識も、どんな信仰も、もし愛が欠けているならば無に等しいのです。愛だけが信仰にも知識にも才能にも意味を与えるのです。
きょうのみ言葉・・・「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」
コリントの信徒への手紙1 13章2節