キリストへの時間 2005年5月15日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山村貴司(南与力町教会牧師)

山村貴司(南与力町教会牧師)

メッセージ: 「効率社会の対極にある愛」

 おはようございます。

 数年前に亡くなられた司馬遼太郎さんの著作の中にこんな出来事がしるされています。

 「状況は、高速道路でオートバイと車の接触事故があり、目の前にゴロンとヘルメット付きの人間が放り出されている。その横を、倒れた人を横目で見ながら、車が一台一台ゆっくりと流れて行く・・・。誰もそこで車を止めない・・・。」なぜ留めないのだろうか。司馬さんは、「車を止めると、その一台のおかげで車の流れが止まり、全体が止まって、みんなに迷惑を掛けるからだ。それだけでなく、自分自身も会社に向かっているのだから、会社に遅刻してしまうのだ。」・・・そう言っていました。

 ここには社会の歯車の一部と化した、効率を第一とする人間の姿があらわされているのではないでしょうか? 確かにここで、人が車を止め、事故の人の安否を問うことは、車の渋滞を生み、会社にも遅れます。これはけっして、効率のよい働きとはいえないでしょう。しかし、聖書が語る愛というわざは、効率を第一と考えないわざです。それは自分が損をするわざ・・・と言うことができるのではないかと思います。

 現代社会の中で見失われてしまっているものは小さくないように思います。人は効率と自分の利益を求める生活の中で、損をすることができない人間になっているのではないでしょうか。逆にそんな社会の中で、損をすることができる生活、そこに愛がある生活には、安らぎがあるのではないでしょうか。

 では私たち人間にとって、より大切なものとはいったい何でしょうか? それはやはり、どれだけ効率のよい仕事ができるか・・・ではなく、その人自身がどれほど愛情深い者となるか、どれほどいつくしみ深い者となるか・・・ではないでしょうか。

 ノーベル平和賞を受賞した仏教のダライラマ法王が、数年前日本を訪れたとき、このように語っていました。
 「世界中にかなりの数の宗教を信じない者が居続けるだろう。しかしそれは問題ではない。たとい宗教を信じていなくても、人が、人間にとって基本的なもの、つまり愛情、共感、いつくしみといったものを持ってさえていてくれれば・・・。問題は、今の教育が、頭だけに働きかけ、心を育てようとしないこと・・・、この社会がお金だけを追いかけ、心をおろそかにしていることだ。」・・・そう語っていました。

 ダライ・ラマが言うように、人にとって大切なものは、知恵や業績でなくその人自身がいかに愛情深いものとなるか、いかにいつくしみ深いものとなるかということではないでしょうか。

 司馬遼太郎さんが、高速道路の話の結びで中国の老子と孟子の思想を用いてこう言っていました。それを引用して終わりたいと思います。

 「老子のいう、鶏や犬の声が相聞こえるような素朴社会なら、この事故の時、人々は是非を超えて飛び出し、孟子のいう人間の生まれつきの衝動として、死者を抱き起こしたに違いない。」(−くり返し−)

 どうか、私たちがいつくしみに満ちた生活を送ることができますように。

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