キリストへの時間 2005年4月17日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「正義への目覚めと失意」

 おはようございます。山下正雄です。

   旧約聖書に出てくるモーセといえば、聖書にあまり馴染みのない人にとっても、一度は名前を耳にしたことのある人物でしょう。「十戒」といえば映画になったことでも有名ですが、その十戒を神から授かったのは、このモーセを通してです。  モーセの生い立ちは実に紆余曲折に富んでいます。今の時代に生きるわたしたちにとっては、もうすでに知っている話ですから、モーセの生い立ちの紆余曲折ぶりを楽しんで読むことができるでしょう。しかも、そのような波乱万丈ともいえる生い立ちも、結局は神によって備えられた訓練の時間であったと知れば、その人生はきわめて有意義で納得のいく人生だと評価できることでしょう。

 しかし、当のモーセにとっては、自分の生まれについても、育ちについても、自分の手ではどうすることもできなかったことです。そのことで将来受ける心の苦しみや葛藤は避けて通ることができませんでした。どれほど青年時代のモーセが悩み苦しんだかは、聖書には直接は記されることはありませんが、想像に難くありません。

 さて、エジプトにヘブライ人たちが住み着くようになったのは、モーセの時代よりずっと前のことでした。モーセの先祖たちがパレスチナからエジプトのゴシェンの地に住み着いたときには、エジプトの王ともよい関係にありました。けれども、時が経つにつれ、やがては過去のいきさつなど知らない王様がエジプトを支配する時代がやってきたのです。

 国内に増えつづけるヘブライ人たちを快く思わないその王は、過酷きわまる労働でヘブライ人たちを虐待しはじめました。それでも勢力の衰えないヘブライ人を見て、生まれてくる男の子をみな殺してしまうようにとさえ命じたのです。

 そんな時代に生まれたのがモーセでした。モーセはわが子を守りたいと願う母親の知恵で、難を逃れてエジプト王の王女の子どもとして育てられます。血筋は生粋のヘブライ人でありながら、エジプト人として、しかもエジプトの王女の子として育てられたモーセは、過酷な労働で虐待される自分の同胞たちをどんな思いで見てきたことでしょうか。

 ある日、この社会の歪んだ構造に立ち向かう時がやってきたのです。

 重労働に苦しむヘブライ人の一人を、さらに打ち叩くエジプト人をモーセは見かけました。正義感からモーセはこの不正な虐待を見過ごすわけには行かなかったのです。血気盛んとはこのことを言うのでしょか、モーセはそのエジプト人を殴り殺し、死体を埋めてしまいました。

 同胞を思い遣る気持ちも、社会の不正を憤る気持ちも立派なものであったかもしれません。しかし、暴力に対して暴力で立ち向かったモーセは、この事件の苦い経験を学ばねばなりませんでした。

 翌日、ヘブライ人同志の喧嘩の仲裁にはいったモーセは、この二人から意外な言葉を聞かされます。昨日モーセのなしたことは、正義の実現になるどころか、同胞からの信頼すら失わせることになってしまっていたのです。

 その後モーセは逃亡生活を送らなければならなくなってしまいました。自分の浅はかな正義感がどれほど無意味で無力であったかを、何度も思い巡らしたことでしょう。しかし、この苦い経験は決して無駄なことではなかったのです。自分の弱さを思い知ったからこそ、後に神にすべてを委ねて強く振る舞うことのできるモーセへと成長していたのです。

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