おはようございます。山下正雄です。
創世記の23章には、アブラハムの妻サラが、127年の生涯を閉じたという記事が出てきます。アブラハムの気持ちを記す創世記の記事は「アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」とだけ記しています。
妻に先立たれるという経験がないわたしには、このときのアブラハムの気持ちを、どれほど想像力を豊かに働かせたとしても、十分には汲み取れないかもしれません。一体アブラハムとサラとの結婚生活が何年に及んでいたのかは分かりませんが、長年連れ添ってきた妻の死は、アブラハムにとって大きな悲しみであったことは間違いありません。何年寄り添ったからもう十分ということはないでしょう
「アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」…この一行ほどの文章の言外には、言葉では言い表せないほどのアブラハムの思いがあったはずです。それはただ悲しみという言葉だけで表現し尽くされるものではないでしょう。苦楽を共にしてきた伴侶との想い出が、走馬灯のように思い出されてきたかもしれません。そこには妻に対する感謝の思いもあり、また、妻に対して夫としての分を十分に果たせなかったことへの自責の念もあったかもしれません。色々な感情が一緒くたになって噴き出してきたことでしょう。
信仰深いアブラハムだからといって、気丈な態度でいたわけではありません。悲しいことを悲しいと感じ、人の前でも神の前でも胸を打ち、嘆き悲しんだのです。
もっとも、創世記の関心は、妻のために嘆き悲しむアブラハムの姿にあるのではありません。すぐさま亡くなったサラの墓地となる場所を手に入れるエピソードが紹介されます。
もともとアブラハムにとっては、カナンの地は、寄留の土地でした。墓所となるべき土地をすでに所有していたのではありません。そこで、すぐさま土地を求めてヘト人との交渉が始まります。亡くなった者を丁重に葬ることは当然のことだからです。
「あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」
このアブラハムの願いは、ヘトの人々にとってもごく自然なこととして受けとめられました。「アブラハムは神に選ばれた者だ」という評判も手伝って、ヘトの人々はアブラハムに最もよい土地の提供を申し出たのです。しかし、アブラハムはこの申し出を敢えて断って、希望の土地を買い取ることを願いました。しかも、その土地の所有者から、言い値どおりに買い取ることを心良しとしたのです。言い値の銀400シェケルは、法外な値段だといわれています。それでも、アブラハムは必要な土地すべてを言い値で買い取ったのです。
そこにはもちろん、愛する妻のお墓を値切って買うことにためらいを感じたということもあったのかもしれません。しかし、それ以上に、アブラハムには先を見通す冷静さがあったのです。今ここで無償で土地の提供を受けることが、将来どんな不都合を生み出すか、見通していたのです。
以前にもアブラハムはソドムの王様から財産を譲り渡すとの申し出を受けたとき、それを断りました。そのときアブラハムが言ったことはこうでした(創14:23)。
「あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません」
このようなアブラハムの態度の中に、先を見通す冷静さを見ることが出来ます。アブラハムの信仰の深さは、悲しみの中にあっても将来を見通すことができる冷静さの中にあるのです。