2008年10月19日(日)たとえ全世界を手に入れても(マルコ8:36-37)

おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
イエス・キリストはこんなことをおっしゃいました。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」(マルコ8:36-37)

この言葉を聞いて、こんなことを思うかも知れません。
「わたしは別に全世界を手に入れようなんて思ってもいないから、このイエスの言葉は自分には関係がない」と。
いえ、このイエスの言葉は全世界を手に入れるか入れないかが問題なのではありません。自分の命について、ほんとうに正しく考えているかということが問題なのです。
この心と体を維持していくことならば、誰もが真剣に考えていることです。それはただ物質的に豊かに暮らすというばかりではなく、精神的にも心のゆとりをもって暮らすということも含まれるでしょう。
しかし、イエス・キリストが問題にしている命というのは神の前で生かされる命のことです。聖書の言葉を借りれば、「永遠の命」のことを問題にされているのです。
「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」とキリストはおっしゃいます。

救いたいと思う自分の命について、思い違いをしてはいないかとキリストは問いかけていらっしゃるのです。
それではきょうもあなたの上に主イエス・キリストの恵みが豊かにありますように。