2008年6月22日(日)わたしが命のパン(ヨハネ6:35)

おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
イエス・キリストはこんなことをおっしゃいました。

「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6:35)

食べるものがなければ、人間、命を維持していくことができないのは誰もが知っていることです。しかし、食べるものさえあれば、満足な暮らしができるかと言えば、そうでもないのが人間です。
趣味や娯楽や教養があって初めて人間らしいということができます。そして、そこが他の動物との違いでもあるのです。やむを得ず、食べることだけで精一杯の人もいます。しかし、誰一人として、それで人間らしい暮らしだとは思わないでしょう。機会があれば、食べること以外で何かを究めたいと願うのが人間です。
しかし、食欲が満たされ、知識欲が満たされ、娯楽や楽しみに満たされても、それでもなお何かが足りないと思うのが人間です。命と言うのはそれらすべてを含めての命なのです。

イエス・キリストが「わたしが命のパンである」とおっしゃるのは、そういう意味での足りなさをすべて満たす命のパンなのです。その命を「霊的な命」と呼び、その命が感じる飢え渇きを「魂の飢え渇き」と呼ぶにしても、それを癒すことができるのはまことの命のパンであるイエス・キリストお一人だけなのです。