2007年8月5日(日)死を越えて(詩編48:15)
おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第48編15節の言葉です。
「この神は世々限りなくわたしたちの神 死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。」
この詩編48編全体は、神の都エルサレムを神が確かに守ってくださった喜びを歌い上げています。そして、この神をこそ、子々孫々語り伝えよと詩編を結びます。その結びの言葉が先ほど引用した言葉です。
「後の代に語り伝えよ この神は世々限りなくわたしたちの神 死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。」
当たり前のことですが、神が神であられるのが、わたしたち一世代限りのことであれば、それは神と呼ぶにはあまりにも頼りがいがありません。わたしたちの命の長さを超えてもなお神でありつづけるのでなければまことの神とはいえません。
けれども、誰も、神が神でありつづけるのかどうは知ることができません。ただそれは、信仰によってだけ受けとめることができる事柄です。
「この神は世々限りなくわたしたちの神 死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。」
神をそのようなお方として信仰によって確信するときに、神の平安が心に豊かに宿るのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。