2005年6月26日(日)深い沼、深い底から(詩編69:3)

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。

 今朝は旧約聖書詩編の第69編の言葉です。

 「わたしは深い沼にはまり込み 足がかりもありません。 大水の深い底にまで沈み 奔流がわたしを押し流します。」

 わたしは一度だけ溺れかけたことがあります。それは小学生の時でした。集中豪雨で大水が出たとき、道の端を歩いていて深い溝に落ちてしまったのでした。道の表面が泥水で覆われていて、溝があることに気がつかなかったのです。きょうの詩編に出てくるように、足がかりもなく、深い底にまで沈んでいってしまいました。

 もちろん、きょうの詩編が言っているのは、苦しみのどん底を描いた喩えです。溺れかけたことのあるわたしには、そんな喩えで描かれる悩み苦しみは、想像しただけでも恐ろしくなってきます。

 いったい何が原因でこの詩編の作者はそんな苦しみにあっているのでしょうか。

 「あなたの神殿に対する熱情が わたしを食い尽くしているので あなたを嘲る者の嘲りが わたしの上にふりかかっています。」…そうこの詩編の作者は言っています。

 真面目に熱心に生きれば生きるほど、嘲られ苦しめられるというのです。真面目に生きようとする者を挫き、物笑いの種にしようとするのは、今も昔も変わらない人間の醜さかもしれません。しかし、聖書の神はあなたを深い沼、深い底から、必ず救ってくださいます。

 それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。