2005年5月8日(日)告白こそ神が求めるいけにえ」(詩編50:14)
おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第50編の言葉です。
「告白を神へのいけにえとしてささげ いと高き神に満願の献げ物をせよ」
きょうの詩編では神と契約を結んだイスラエルが神の御前に召し集められます。何のためでしょうか。神がご自分の民を裁くためです。この民に向かって神から告発の言葉が発せられます。その神による告発の言葉は、いけにえの献げものについての告発です。
神はいけにえの数が足りないというのでしょうか。そうではありません。神は動物の犠牲の供え物を必要とされるようなお方ではないというのです。
神が求めておられるいけにえは、神への告白であると記されます。神への告白とはただ単に罪の告白だけではありません。自分の全存在がただ神にのみかかっているという告白です。動物犠牲をささげるのはその心の表れとしてなのです。神は心の伴わない形式だけの礼拝を喜ばれません。神の恵みに感謝し、心から神を頼りとする心があってこそ、神への礼拝が成り立つのです。
形のあるものをもって神を礼拝することは、具体的で分かりやすさがあります。しかし、神は礼拝をささげる一人一人の心を見ておられるのです。真心をもって神を神に近づく者となりましょう。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。