2020年3月10日(火) ほほえみBOX-ちょこっとことばのレッスン(30)「詩と祈りのことば」
ほんとうに久しぶりにシャム猫さんからご感想をいただきました。
「いつもほほえみトークを楽しみに聴いています。カレンダープレゼントありがとうございました。私の部屋の壁に飾ってあります。また一年よろしく!という感じですね。今年は暖冬でしたね。お身体お大事にしてくださいね。プレゼントの『母と子の聖書朗読CD』も楽しみにしています。」
シャム猫さんありがとうございます。
次は、青森のあきこさん。毎年お葉書に素敵な詩を送ってくださいます。今年は、「からだとともに」という作品です。
「寒くなると 弱いからだは 思いどおりに動けない
ゆっくり からだとともに 歩むとき
おだやかさと 豊かな平安が こころに満ちてくる」
あきこさん、ありがとうございました。パソコンが不調とのこと、治りましたか?
そして2015年1月の番組CDを緑内障で視力が弱くなってきている友人に差し上げてくださったとのこと。私の朗読が眼の御不自由なかたのために用いられたら…と願ってくださって感謝です。2020年2月4日に井上都希子さんの音訳ボランティアのお話をお届けしましたが、静岡の盲人伝道センターの働きが豊かに用いられますように願っています。多くの方々がセンターをご利用くださいますように。
次は、山下先生のQ&Aのご感想です。Tさんからです。
「『子どもを授かりたい私の相談』(2020年1月21日放送)を聴きながら1980年代の自分を思い出しました。私も不妊治療を続けた経験があります。思った以上に時間も忍耐も必要な治療を長く続ける中で仕事への支障、経済的な負担…。
『子どもを持つためだけに結婚したのではないのに』『夫婦二人の生活が不満ではないのに』と思いながらも、その時代の価値観の影響もあったのかもしれません
子どもは、私の描く普通の家庭には欠かせないメンバーのひとり、その子どもが生まれてくることで私たちの結びつきはさらに深まり幸せになる…。夫の家族にもお嫁さんとして認めてもらえると信じていたような気がします。
悩みながら迷いながら不妊治療をやめたり再開したり。気持ちも治療も中途半端なままいつか治療から遠のいていた時に思いがけず妊娠しました。結婚から12年が経っていました。(中略)生きていく日々には本当にいろいろなことがあり続けますね。久しぶりにBOX190(2009年6月3日放送)を聴き『できる部分で祈り、あとはすべてを神様に委ねて、祈りつつ現実を受け止めていく事』を学びました。」
Tさん、ご自分の体験談をお知らせくださりありがとうございました。
では、今日のちょこっとことばのレッスンのテーマは「詩と祈りのことば」です。
あなたは詩や祈りの言葉を黙読ではなく声に出して読んだことがありますか?
毎月のリジョイス聖書日課には、祈りの言葉もありますね。詩の言葉って、ひとことで自分の気持ちを救い取ってくれるような思いがします。
以前、番組掲示板に作品をいただいて朗読しました。その後、「母と子の聖書」のご紹介が始まってからは「ほほえみBOX」でご紹介しています。どうぞあなたの詩の作品もぜひこのコーナーにお寄せ下さい。心からお待ちしています。
先日、ほほえみリスナーEさんから祈りの本が届けられました。「祈る〜パウロとカルヴァンとともに」(R・ボーレン著、川中子義勝訳、教文館2017年)。2テモテのみ言葉と共に、祈りの修練の書。
自分の祈りの言葉の貧しさを嘆く私たちですがこのような本を読むことで助けられ、祈りが磨かれていくのですね。Eさんありがとうございます。
読みながら思い出しました。よく朗読した「祈りの花束」(新教出版社)を。
また次々思い出す祈りの本があります。どの祈りの言葉も声に出して読むと心に平安が訪れます。心の叫びが詩の言葉になります。それは切実な祈りの言葉でもあります。
苦しい試練の時、私たちは祈ります。苦しみが祈りへと私たちを導きます。
以前、辛さを訴えて困難の中にある友に「詩編」を読んでみないかと勧めたことがありました。その友は、読んで「まさに今の自分の叫びにピッタリの言葉がある」と驚かれました。きっと今でも詩編を読みながらいのちの時間を生きていると思います。
それでは最後に、Eさんからの本「祈る〜パウロとカルヴァンとともに」の中から「夜の祈り」をご紹介します。
しかし主は私をすべての悪しき業より救い出されるでしょう。(2テモテ4:18)
「夜の祈り」(カルヴァン)
私が眠れても
あるいは眠れなくても
あなたの恵みが
眠ることはありえない。
私が働いても
あるいは、欲するままに
働けなくても
あなたの恵みは働く。
私の眠りが
ベッドでの短い時間でも
あるいは地の中での長い時間でも
あなたはいつも目覚めている。
そして、わたしを起こしてくださる、
あなたに向かって目覚めるように。
我々に神の恵みが絶えず注がれていることを、優れて実証してくれるもの。