2018年8月28日(火) 小さな朗読会228「まいご」(John Timmer著「Once upon a time…」より)

 街でまいごになったことはありますか?私はあります。
 ボストンでパーク街を探していて、まいごになってしまったんです。

 そこで私は男の人にたずねました。
 「だんな様、パーク街へはどう行けばよろしいでしょうか?」
 男の人はモソモソと道を教えてくれましたが、それは間違っていました。教わった通りに行くと、死んだ人のお墓がたくさんある墓地についてしまったのです。まわりを見回して「間違っているみたいだぞ」と私は思いました。

 そこで私は女の人にたずねました。
 「ご婦人、パーク街へはどう行けばよろしいでしょうか?」
 女の人はとても親切で、詳しく道を教えてくれました。
 「最初の角を右へ行き、2番目の角を左へ行き、大きな教会を通り過ぎて橋を渡るのよ。そこで道が分かれるから、左の道へ行き、2区画進んで右に曲がるのよ。そこまで行けばわかるはずよ」
 でも、私にはわかりませんでした。大きな教会を過ぎる頃には、その後の道順を忘れてしまいました。いろいろと言われすぎて難しすぎたのです。

 そこで私は長いひげとボサボサ頭の学生にたずねました。
 「パーク街はどこ?」
 彼は、「道を教えることはできるけど、簡単じゃないんだよなぁ。連れてってあげるよ」と言いました。
 そして彼は本当にパーク街へ連れて行ってくれたのでした。

 神さまをどうやって見つけたらいいのかと人にたずねると、同じようなことになるでしょう。
 間違ったことを教える人がいます。それにしたがうと死んだ人のお墓がたくさんある場所にたどり着いてしまうのです。
 詳しすぎるほどたくさん教えてくれる人もいます。彼らは、「まず、これをしなさい。そしてあれをして、これやあれはしないように気をつけて。それと、こんなことをしたらあんなことになっちゃうからだめよ」というようなことを言います。
 長いひげとボサボサ頭の学生のように、道をただ教えるのではなく、実際に連れて行ってくれる人もいます。イエスさまがしているのは、それです。

 イエスさまは、神さまへの道を示してくださいます。イエスさまが、道なのです。
 「神さまはどこ?」とイエスさまにたずねたら、
 イエスさまはご自分を指差して、「私が神さまへの道です」と言うでしょう。(訳:木川美来)


 聖書のみことば
 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14:6)