2016年12月27日(火) 小さな朗読会208「エルサレムの総督ネヘミヤ」(「母と子の聖書旧約下」最終回110章)
ペルシャに、ネヘミヤという金持ちで、身分の高いユダヤ人がいました。彼は王のお酌をする高い地位についていました。この地位はたいそう大切なもので、信用できる人にしか与えられない地位でした。お酌人は、王にお酒をすすめるたびに、さきに毒味をしなければなりません。これは王を毒殺から守るためでした。
ある日、ユダヤにいっていた人が、ペルシャにもどってきました。彼は悪いしらせをもってきました。「エルサレムの人々はたいそう困っている。その城壁はくずされ、その門は火に焼かれたままです」と、その人はいいました。
これを聞いたネヘミヤは、たいそう悲しみました。仕事をしながら、神さまにエルサレムを助けてくださるように祈りました。その悲しみは顔にでました。
王は、ネヘミヤが沈んでいるのに気づきました。「あなたは病気でもないのに、どうして悲しげな顔をしているのか。何か心に悲しみをもっているにちがいない」といいました。
ネヘミヤは恐れました。というのは、王のしもべは、王のまえで悲しげにしてはいけないからです。それでも、「どうぞ王よ、長生きされますように。わたしの先祖の墓の地である町が荒廃し、その門が火で焼かれたままであるのに、どうして悲しげな顔をしないでいられましょうか」といいました。
王は親切に、「それでは、あなたは何を願うのか」とたずねました。
これは、15年ほどまえ、エズラを6、7千人の一団といっしょにエルサレムにいかせ、神殿のために金や銀の宝を与えたのと、同じ王です。このことと、王の親切な言葉にネヘミヤは勇気をふるいおこしました。
「もし王がよしとされ、しもべがあなたのまえに恵みを得ますならば、どうかわたしを、ユダにある先祖の墓の町につかわして、それを再建させてください」と、ネヘミヤはこたえました。
「あなたの旅の期間はどれほどか、いつごろ帰ってくるか」と、王はたずねました。
「12年」がそのこたえでした。そしてネヘミヤは、ユフラテ川の向こうの国々の総督に、無事にその国を通れるよう手紙を書いてほしい、と王に願いました。ネヘミヤはまた、王の森林の管理人あての手紙をもらいました。その手紙には、ユダヤ人が街の壁と総督の宮殿を建てるのに必要な木材を与えるように、としるしてありました。
これらの手紙を書いたほかに、王は一団の兵と騎兵をネヘミヤに与えました。荒れた土地を通らなければならなかったからです。
ネヘミヤは無事、エルサレムに着きました。1日2日休息したあとで、彼とほかの数人は馬に乗り、夜、エルサレムの町を一回りして、様子を視察しました。
彼らは町がひじょうに荒らされていることを発見しました。壁はこわされ、門が焼かれていました。またネブカデネザルが町を焼き払って以来、がらくたが積まれている大きな空地があちこちにありました。
ネヘミヤは、この荒れ果てた様子を見てたいへん憂えました。翌日、彼はエルサレムのつかさたちのもとにきて、「あなたがたの見るとおり、エルサレムは難局にある。町は荒廃し、門は火に焼かれた。さあ、ふたたび城壁を築こう」といいました。
つかさたちは、すぐに仕事にとりかかることを願いました。ペルシャの王はネヘミヤを総督にしたので、ネヘミヤは命令をだしました。彼は町のまわりの壁を区分し、各家庭は、自分にもっとも近い壁の部分をあてがわれました。
町のなかや、近くに住んでいたサマリヤ人が、問題を起こしはじめました。壁をなおそうとしているといって、ネヘミヤを嘲笑しました。
そのひとりが、兵たちに向かって「この弱々しいユダヤ人は、何をしているのか。壁をつくるための石は、どこから得るのか。燃えたがらくたのなかから拾いだそうというのか」と嘲笑しました。いまひとりは、「そうだ、彼らの築いている城壁は、きつねの1匹がのぼってもくずれるであろう」と、ばかにしたようにいいました。
このあざけりにこたえるかわりに、ネヘミヤは神さまに、「神よ、聞いてください。われわれは侮られています」と訴えました。
ユダヤ人は壁をつくり続けました。彼らは一生けんめい働き、まもなく完成するところまできました。壁がほんとうに建て直されているのを知って、サマリヤ人はますます心がおだやかでなくなりました。彼らは仕事の邪魔をするため、エルサレムに対して戦いを計画してきました。
イスラエル人は神さまに祈りました。ネヘミヤはつるぎややり、弓矢を民にもたせて、壁のうらがわに人々を立たせました。そして、「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、むすこ、娘、妻および家のために戦いなさい」といいました。
ユダヤ人の敵は、自分たちの攻撃計画が知られていることに気づいたとき、自分たちが敗北したことをさとりました。
ネヘミヤは、次のように書きました。「われわれはみな城壁に帰り、おのおのその工事を続けた。その日からあとは、わたしのしもべの半数は工事に働き、半数は攻撃の場合、戦えるように、武器を持った。荷を負い運ぶものは、おのおの片手で工事をし、片手に武器を執った。築き建てる者は、おのおのその腰につるぎを帯びて築き建て、ラッパを吹くものは、わたしのかたわらにいた。
わたしは、つかさたちにいった『工事は大きくかつ広がっているので、われわれは城壁の上で互に遠く離れている。どこででもラッパの音を聞いたなら、そこにいるわれわれの所に集まってほしい。われわれの神はわれわれのために戦われる。』と同時に、わたしは民に、『おのおのそのしもべとともに、エルサレムのうちに宿り、夜はわれわれの護衛者となるように』といった。それは、壁で働いている人で、エルサレムでなく、近くの町に住んでいるものが大ぜいいたからである。そして、わたしも、わたしの兄弟たちもわたしのしもべたちも。わたしを護衛する人々も、われわれのうちひとりも、衣を脱がず、おのおの手に武器をとっていた。
王はわたしを総督に任ぜられたが、わたしの治めた12年の間、わたしは給料を受けなかった。わたしはかえって、私費で多くの人に食べさせた」。
ネヘミヤは続けて書いています。「さて、サマリヤ人は、壁がほとんど築き終わったと聞いて、ほかの方法でじゃまをしにきた。彼はわたしに、「一つの村で会見しよう」といってきた。
そこでわたしは、彼らに使者をつかわしていわせた、『わたしは大きい工事をしているから、くだっていくことはできない。どうしてあなたがたの所へくだっていき、そのあいだ、工事を止めることができようか』。
彼らは四度までこのようにわたしに人をつかわしたが、わたしはいかなかった。五度目に、人に手紙をもたせてきた。そのなかにこうしるしてあった、『諸国民のあいだに言い伝えられているが、あなたは反乱をくわだて、そのために城壁を築いている。またあなたはエルサレムで王になろうとしている。今、われわれのところにこないと、ペルシャの王に、あなたが王になろうとしていることを伝えよう』。
そこで、わたしは彼らにいった。『あなたのいうようなことはしていない。あなたはそれを自分の心から造りだしたのだ』と。そして神に祈った。
こうして城壁は52日を終えて、完成した。われわれの敵がみなこれを聞いたとき、この工事が神の助けによって成就したことを悟り、恐れた。
ネヘミヤが、2ヶ月以内で壁を完成させたことは、思いがけないことでした。彼は一生けんめい働き、民も、力いっぱい、これを手伝ったからです。
次に、ネヘミヤがしたことは、バビロンからもどってきた家系をみな集めることでした。彼は、まことのユダヤ人の家系をしるしている古い本を見つけました。そして彼はこの本の記録をみて、ほんとうにユダヤ人でないものがいるかどうかを調べました。
これはてまのかかる仕事でした。4万2千人もいたのですから、終わってみると、何人かの祭司の家名がこの書にでていないことがわかりました。これらの祭司は、もう宮でつかえることができなくなりました。
ネヘミヤとエズラは、民を大きな集会に集めました。エズラは、このために立てられた高い木の壇にのぼり、大いなる神である主をたたえました。人々は、『アァメン、アァメン』とこたえ、頭を地面につけて、主を礼拝しました。
エズラとその助手は、神の律法の書を読みました。そして、民に律法がわかるように、読んだことの意味を説明しました。朝から昼まで彼らは読みました。民は熱心に聞きました。そして、聞きながら泣きました。ずいぶんひさしぶりに、神さまの律法を聞いたからです。あるいは、ペルシャからきた大部分のものは、初めて聞いたのかもしれません。
それから、総督ネヘミヤと学者エズラは、民に「この日はわれわれの主の聖なる日です。あなたがたは帰って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。貧しいものには分けてやりなさい。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたの力です」といいました。そこで民はみな、飲んだり、食べたり、楽しい祝日を祝うため、家に帰りました。
翌日、民はふたたび集まりました。エズラはまた、律法の書から読みました。
モーセの律法に、イスラエルの民が、7日の祭を祝うため、仮庵に住むように命じられていることが、書いてありました。そこでユダヤ人はオリブ山にいってオリブや野生のオリブ、それになつめやしの木の枝を取ってきて、家の屋根の上に、また庭に仮庵をつくりました。
民は、自分たちがふたたび、ほんとうの意味でのイスラエル人になったのを喜びました。もはや、捕囚前のように、異教国にならいたいとは思いませんでした。このことにはすっかりこりていました。
エズラは毎日、神の律法の書を読みました。民は、神さまの律法に従って歩み、その戒めを守るというげんしゅくな約束をしました。
ネヘミヤが総督のとき、マラキという預言者がいました。彼は旧約聖書の最後の書を書きました。
マラキは民に、約束の救い主がまもなくくることを告げました。彼は「わが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼる」といい、また、バプテスマのヨハネのくることを預言して、「見よ、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす」といいました。
神さまにつかえようとするものを慰めるために、マラキは、「そのとき、主を恐れる者は互いに語った。主は耳を傾けてこれを聞かれた。そして主を恐れる者、およびその名を心に留めている者のために、主のまえに一つの覚え書きがしるされた。『彼らはわたしの者となる』と万軍の主はいわれる」といっています。
これはなんと、慰めにみちた言葉でしょう。神さまを愛し、神さまについて話し合うために、たびたび集まるものたちを、神さまは、ご自身のものと呼ばれます。これは、聖書の学びからいつも教えられる教訓の一つです。神さまは、ご自身に仕えるものを愛され、いつもその人といっしょにいらっしゃるのです。