2016年8月23日(火) 小さな朗読会204「約束の地への帰還・町の復興」(「母と子の聖書旧約下」105-106章)
ダニエルは、最初捕りょとしてバビロンに来たときには、まだほんの少年でした。かれは40年続いたネブカデネザルの統治中、宮廷にいました。ネブカデネザルのあと、一、二の王がたち、そのあとでベルシャザル、続いてダリヨスが王座につきました。
クロスがダリヨスの死後王座についたとき、ダニエルはもう老人でした。彼が捕りょとしてバビロンにきてから、70年もたっていました。そのとき、彼が15才だったとすれば、もう85才になっていたわけです。
ダニエルは、王国でひじょうに高い地位につき、また何度か、大きな危険にさらされてきましたが、神さまはそのたびに、すばらしい方法でダニエルを助けられました。
捕囚の初めに、預言者エレミヤは、捕えられたユダヤ人たちに手紙を書き、70年すれば神さまが彼らを祖国にもどされる、といったことがありました。
その70年が過ぎました。神さまは民をお忘れになりませんでした。神さまはその帰還をすでに計画しておられました。それは思いがけない方法で実現しました。
クロスが王になるや、神さまは彼の心に、ユダヤ人をエルサレムに帰そうという気持ちを持たされました。もっと驚いたことに、クロス王は、破壊されてしまった神殿を再建するのを手伝う、と申しでたのです。
王はつぎのように書きました
ユダヤ人に対するクロスの布告
天の神、主は、地上の国々をことごとくわたしにくださって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。
あなたがたのうち、その民である者はみな、エルサレムにいき、主の宮を復興せよ。
いかないものがあるならば、そのものは金、銀、食物、家畜をもって、いく人を助けよ。
町かどにはってあるこの布告を見て、ユダヤ人らはどんなに驚いたことでしょう。宮を復興するために自分たちがエルサレムにもどれるなんて、ほんとうでしょうか。それは信じられないほどでした。
町かどや家々で、みなは興奮して集まりました。人々は嬉しくて、おどったり、歌ったり、叫んだり、手をたたいたりしました。詩人のひとりは、このことを詩に書きました。詩篇126篇がそれです。
この布告は、次の理由からいよいよ驚くべきものでした。すなわち、クロスの生まれる150年前に、イザヤが彼について預言していたのです。イザヤはクロスという名をあげ、彼が何をするかということまで語っていたのでした。
神さまがイザヤにいうべきことを教えておられたので、イザヤは、このことを知っていました。神さまは、すべての出来事、世の終わりに至るまでの出来事をみな、ご存知なのです。それは神さまがすべてのことを起こしておられるからです。神さまは世界の支配者です。
聖書には、クロスがこの預言について知っていたかどうか、書いてはありませんが、おそらく、ダニエルがそのことを告げたのでしょう。
天の神が、「クロスはわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる。彼はエルサレムについて『ふたたび建てられる』といい、神殿については『あなたの基がすえられる』という」といっておられたことを読んだとき、クロスはどんなに驚き、畏敬の念にかられたことでしょう。
イザヤは次の言葉も書いています。「クロスはわが油注がれた者。わたしはその右の手をとって、もろもろの国をそのまえに従わせた」と。
また王は、神さまが直接、自分にあてていわれた次のみ言葉を読んで、どんなに驚いたでしょう。「わたしはあなたのまえにいって、もろもろの山を平らにする。青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切る。あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与える。こうしてわたしがあなたの名を呼んだイスラエルの神、主であることを、あなたに知らせよう。
クロスがこれらの預言を読んだとき、自分がどうしてこんなに偉大な征服者になったのか、わかったことでしょう。それは、自分自身の力や威力によるのではなく、神さまの助けがあったからなのです。
クロスはまた「地の果てなるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ。そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ」という約束も読んだことでしょう。
喜び勇んで、ユダヤ人たちは国にもどるための長い旅の仕度をはじめました。
エルサレムまでは800キロ以上もあります。今日でも、それはずいぶん遠い距離です。そのころはもっとながくかかり大へんでした。
エルサレムでは、宮は破壊され、家々は灰になっているのがみえるでしょう。エルサレムは70年まえ、ネブカデネザルに焼き払われて以来、ずっとそのままだったからです。1軒の家も残されていません。がらくたを片づけて新しい家を建てるだけで、1年はかかります。そのあいだじゅう、ユダヤ人たちは天幕に住まなければなりません。
このために、全部のユダヤ人がエルサレムにもどれたわけではありません。ある家には、もう困難な旅行や、荒れた生活環境にたえられない、年老いたおじいさんやおばあさんがいます。ある家には、長い旅路にたえられない赤ん坊もいます。
ダニエルは、行かなかった多くのユダヤ人のひとりでした。彼は少なくとも85才で、長い旅路や、町を再建しているあいだにしのばなければならない荒れた生活には耐えられなかったでしょう。
若くて、丈夫な男女だけがもどっていきました。バビロンに残ったものは、お金、いろんな品物、旅行に乗っていくための家畜をだして、旅立つものを助けました。
クロス王も彼らを助けました。彼は、ネブカデネザルがエルサレム神殿からとった金や銀の皿をみな返しました。これらのものは貴重品だったので、異教の神殿に、大事に保管されていました。クロス王は自分の財務官にこれを取りだして数えさせ、一つも残さずに返しました。5,400個もありました。
旅行者たちは、長旅のために、たくさんの荷物をもつことになりました。神殿のゆたかな財宝のほかに、家の仕事を始められるだけの家財道具をはこぶ必要もあります。5万人の民が、エルサレムへの帰り旅に加わりました。らくだやろばには、宮の器や家庭用品が積まれたので、多くの人々は歩かなければなりません。1日に3、40キロはよういに歩けました。
歩きながら、人々は歌いました。このほうが旅路は楽しく、賑やかです。夕べには、彼らはらくだの背から天幕を降ろし、温かい砂地に家をたてました。小さなたき火をたき、夕食をつくりました。そして、ねむりにつくとき「また1日、家に近づいた」と楽しく語らいました。
ついに、自分たちの国につきました。神殿のあとが見つかりました。それは、がらくたの山でしかありません。がらくたを片づけたあと、ユダヤ人たちはそこに祭壇をきずき、朝夕、いけにえをささげました。
各家庭は、ヨシュアが先祖に与えた土地を探しました。バビロンで捕われているあいだ、ユダヤにもどったとき住むところがわかるようにかれらは家の記録を大事に保っていました。おのおの、自分たちの先祖の地に落ち着きました。
エルサレムに1年いて、自分たちの住み家をつくったあとで、彼らは新しい神殿づくりにかかりました。礎石がおかれた日には、楽しい集会をひらきました。彼らは主をほめ、「主はめぐみ深く、そのいつくしみは、とこしえにイスラエルに絶えることがない」とダビデのうたをうたいました。
焼き払われるまえの最初の神殿をおぼえていた老いた祭司やレビ人たちは、新しい宮が、まえほど立派なものになれないことを知って、泣きました。そこで、あまりの騒々しさに、喜びの叫びと、これら老人たちの嘆きとを区別するのが困難なほどでした。遠くまで、叫びやら、嘆きの声が、ひびきわたっていました。
みなさんも覚えているように、イスラエルの十部族はアッスリヤ王に捕えられました。そのあと王は、サマリヤに異国の人たちをいれて、その土地に住まわせました。
これらの異国人は、ユダヤ人がバビロンで70年捕囚としていた期間中、ずっとサマリヤに住んでいました。そして、ユダヤ人が捕囚から帰ってきて、宮を再建し始めたのを見て、大祭司のところにやってきました。
「われわれにも、あなたがたがこれを建てるのを手伝わせてください。われわれはここにきた日から、あなたがたの神を礼拝してきましたから」といいました。
ところが、ゼルバベルをはじめ、他のユダヤの長老たちは、これをことわりました。彼らは、サマリヤ人が偶像をも礼拝しているので、神さまをほんとうに礼拝してはいないことを、知っていました。そこで、「あなたがたは、われわれの神の宮を建てることにくわわってはなりません。クロス王は、われわれに建てるように命じたのです」とこたえました。
このこたえに、サマリヤ人たちはたいへん怒りました。そしてユダヤ人を助けるかわりに、ありったけの邪魔をしました。
このあいだに、クロス王は、短い統治の年月を終えて死にました。そのあとで、しばらくのあいだ、ひとりの王が治め、また次の王が立ちました。
ユダヤ人を保護するクロス王がもういないことを知って、サマリヤ人は、この新しい統治者に手紙を書きました。「王よ、ご承知ください。ユダヤ人らがエルサレムにきて、かのそむいた悪い町を建て直しています。その城壁は築きおわり、基礎もつくろわれました。
もしこの町ができあがれば、彼らは王に税金を納めなくなります。歴代の記録をお調べください。この町がいつも悪い町であったことがわかるでしょう。そのためにこそ、この町は滅ぼされたのです」と手紙に書いてありました。
王はサマリヤ人に返事をだしました。「あなたがたの手紙を、わたしのまえで読ませた。わたしは命令を下して調査させたところ、エルサレムはいつもその指導者にそむいた悪い町であったことがわかった。それでわたしは、続けよという命令を下すまでは、その人々がこの町を建てるのをやめるように命ずる」と。
この手紙を受け取ったサマリヤ人は、大いそぎでエルサレムにいきました。ユダヤ人たちは、道具をおいて、仕事を止めるほかありません。彼らの夢はまだ実現しません。
この王の治めているあいだじゅう、ユダヤ人は、未完成の神殿に手を加えませんでした。あまりの失望に、彼らは、抗議しようともしませんでした。
この王は間もなく死にました。そして、そのあとにダリヨスという王が立ちました。このダリヨス二世は偉大な統治者でした。クロスよりも偉い人で、その王国はインドからエジプトまでおよびました。彼はかしこく、よく国を治めました。彼はダリヨス大王と呼ばれています。
神さまは二人の預言者に語って、ユダヤ人にメッセージを与えられました。神さまは、彼らが神殿の建築を続けることを望まれたのです。
彼らを励ますために神さまは、「あなたがたのなかでソロモンの宮を見たものは、この神殿がそれとくらべれば無にひとしいことを知っている。しかし、いつか、わたしはこの第二の宮を栄光で満たす。こののちの栄光は、ソロモンの宮の栄光よりも大いなるものとなる」といわれました。
神さまは、どうやってこの約束を成就されるのでしょう。
神さまがアブラハムや、イザヤ、それに多くの預言者に、いつかは、全世界を祝福し、罪から救う人をおくる、と約束されたのを、皆さんはおぼえているでしょう。神さまは預言者たちに告げて、ユダヤ人に言わせなさいました
「わたしは、もうしばらくして、この救い主を送る。彼は『万国民の宝』と呼ばれる。これがはいってくるとき、この家は栄光に満ちる。」
新しい勇気をだして、ユダヤ人たちは宮の再建を続けました。今までにないほど、彼らは、約束の救い主の来臨を待ちのぞみ始めました。
ユダヤ人が、神殿の再建に手をつけ始めるや否や、けんか好きなサマリヤ人たちは、またまたじゃまをしにやってきました。
「だれがあなたがたにこの宮を建ててよいといったのか。止めないと、われわれは王にいいつけよう」と彼らはいいました。
ところが、ユダヤ人は、今度はやめませんでした。神さまが続けるように命じられたからです。ユダヤ人をとめられないと知ると、サマリヤ人はもう1通の手紙を出しました。今度は、ダリヨス大王あてでした。これよりずっと前から、書き物はごくあたりまえのことになっていました。どの王にも、その王の統世に起こった出来事を記録する書記がいました。これらの記録は、王の図書館にしまわれ、のちの統治者がそれを読めるようになっていました。
問題を起こすことが好きなサマリア人は次のような手紙を書きました。
「願わくはダリヨス王にまったき平安があるように。王に次のことをお知らせいたします。われわれはエルサレムのユダヤ人がどんどん築いている神の宮へいきました。そして、『だれがあなたがたにこの宮を建てることを命じたのか』と聞くと、彼らは『われわれは天の神のしもべであって、年久しいむかし、イスラエルの大王が建てた宮を再び建てるのです。神は、先祖を怒ってネブカデネザルをこさせ、この宮をこわさせ、民をとらえていかせられました。ところがクロス王の元年に、王はこの宮をふたたび建てよとの命令をくだして、われわれをここにかえらせ、これを建てよ、といわれたのです』と。
それで王の図書館をしらべて、この命令がはたしてこの人々のいうとおり、クロス王からでたかどうかを確かめてください。」
手紙を受け取ったダリヨスは、このような記録があるかどうか、記録のおいてある図書館をしらべるように家来たちに命じました。
まもなく、次のような巻物が見つかりました。「記録。クロス王の元年にクロス王は命をくだした。『エルサレムの宮については、基礎をしっかりさせ、大いなる石の層を三段にし、木の層を一段にせよ。その費は王の家から与えられる』」。
この巻物を宝庫にて見つけたダリヨスは、サマリヤ人に、「わたしは命をくだす。あなたがたはユダヤ人をわずらわしてはいけない。彼らにこの神の宮を建て続けさせない。その費用を十分それらの人々に与え、またその必要とするものを与え、その費用は王の財庫から与えよ。子牛、雄羊、子羊、ならびに麦、塩、酒、油、すべてささげものに必要なものも与えよ。求めにしたがって、日々怠りなく与え、王と王子たちの長寿を祈らせよ。
わたしはまた命をくだす。だれでもこの命ずるところを改めるものがあるならば、その家の梁はぬきとられ、彼はその上にくぎづけにされる」と書きおくりました。
サマリヤ人はこの命令に従いました、そして、ユダヤ人をじゃまするかわりに、王のいったように、これを助けました。王が布告した恐ろしい罰を考えると、彼らはこわくて、それに従うほかありませんでした。
こうして、イスラエルの民は宮をつくり、完成しました。全体で、完成までに20年かかりました。完成後、彼らは宮をささげました。彼らは何百という雄羊、子牛、子羊をささげました。そしてモーセの命じたように、祭司やレビ人による礼拝をふたたび始めました。
最後に、彼らは大喜びのうちに、過ぎ越しの祭をひらきました。主はダリヨス王に、主のために家をたてる助けをしたいという思いをおこすことによって、彼らを喜ばされたからです。